コミュニケーションのデジタル・アナログ
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この概念を本でたどる
『精神と自然』で「コミュニケーションのデジタル・アナログ」を読む
グレゴリー・ベイトソン(佐藤良明訳)
ベイトソンは精神プロセスが両様式を統合していることを重視する。本書では生物の遺伝情報(デジタル的)と形態(アナログ的)の関係など、自然界における両様式の共存を論じる。
この本とのつながりを見る「怒っていない」と言葉で伝えながら、声は震え拳は固く握られている。このとき本当に伝わるのはどちらの情報か。コミュニケーションのデジタル・アナログとは、伝達の様式を離散的な記号体系(デジタル)と連続的な関係信号(アナログ)という二層に分けて捉える枠組みである。グレゴリー・ベイトソンは精神と自然で、この二重性が人間の会話にとどまらず、遺伝から進化、精神の働きに至るまで自然界のあらゆる過程に通底する原理であることを論じた。
記号の二つの流儀
デジタルな符号は、記号とその指示対象の間に必然的なつながりを持たない離散的な体系だ。「犬」という語の音や文字は犬という動物と物理的な類似を何も持たず、単位と単位の境界は明確で中間はない。この離散性ゆえに言語は否定・抽象・仮定・時制を扱える——「いない」「かもしれない」「昨日だったら」は連続量では表現しにくい操作だ。対してアナログな符号は、声の調子・表情・身振り・姿勢のように、強弱や量そのものが意味を運ぶ。声が大きいほど緊迫の度合いは増し、距離が近いほど親密さは増す。この連続性ゆえにアナログ信号は否定が難しいとされる——怒りを声で単純に「打ち消す」ことはできず、せいぜい別の調子を重ねるほかない。犬の唸り声や威嚇の姿勢が示すように、動物の示威やなわばりの合図の多くはこのアナログな様式に頼っている。ベイトソンにとってこの区別は、差異の差異としての情報がどのような形式で運ばれるかという問いに重なる。
遺伝子と形態にも走る同じ線
本書でベイトソンはこの二重性を人間の会話の外側、生物の領域にまで広げて論じる。遺伝情報は塩基配列という離散単位の並びであり、ある位置にどの塩基が来るかに連続的な中間はない、デジタルな符号である。ところがその情報から展開される形態——器官の大きさ、成長の速度、身体の輪郭——は、連続的に進行する発生過程を通じて実現される、アナログな現象だと考えられる。設計図はデジタルに書かれていても、建てられる身体はアナログに育つ。デジタルな指定が連続的な成長へと翻訳される、その変換の過程こそがベイトソンの関心を引いたと考えられる。同じ二重性が会話にも遺伝にも走っているという発見が、本書における自然界の統一的な読み方を支えている。
精神は両様式を統合する
ベイトソンが重視したのは、精神過程がデジタルとアナログのどちらか一方に還元されず、両者を統合しているという点だ。発話という行為そのものが好例で、語の連なり(デジタルな内容)は、口調や間合い(アナログな枠づけ)に包まれて初めて意味を持つ。枠づけは内容をどう受け取るべきかを指示するメタメッセージであり、内容とは異なる論理階梯に属するとされる——ここで論理階型の混同が起これば、語られた言葉と語り方が食い違う逆説が生まれかねない。文字だけのメッセージが誤解を招きやすいのも、アナログな枠づけを剥ぎ取られたデジタルな内容だけが残るからだと理解できる。この発想の背景にはサイバネティクスが通信工学の中で培った離散/連続の区別があるが、ベイトソンはそれを機械の設計原理から生きたシステム一般の記述言語へと組み替えたと言える。
デジタルとアナログは、力学ではなく差異によって組織される領域——ベイトソンがクレアチュラとプレロムと呼んだ区別のうちクレアチュラの側——で働く、二つの符号化の様式だと言えるだろう。ある信号がデジタルかアナログかを問うことは、精神という現象がどんな素材で織られているかを問うことに等しい。
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この概念を扱う本(1冊)
グレゴリー・ベイトソン(佐藤良明訳)
ベイトソンは精神プロセスが両様式を統合していることを重視する。本書では生物の遺伝情報(デジタル的)と形態(アナログ的)の関係など、自然界における両様式の共存を論じる。