クレアチュラとプレロム
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この概念を本でたどる
『精神と自然』で「クレアチュラとプレロム」を読む
グレゴリー・ベイトソン(佐藤良明訳)
ベイトソンはユングからこの区別を借用し、生命と精神の独自性を説明する枠組みとして再定式化した。自然科学の物理的記述だけでは生命現象を捉えられないという本書の核心的主張を支える。
この本とのつながりを見る石を蹴り飛ばすのと、眠っている犬を蹴るのとでは、何が本質的に違うのか。前者はただ力学の法則に従ってエネルギーが伝わり、質量と加えられた力に応じて石が転がるだけだ。しかし後者では、犬は痛みという「知らせ」を受け取り、唸り、身をよじり、次にその人が近づいたときの態度を変えるかもしれない。同じ「蹴る」という行為が、一方では力とエネルギーだけで説明が尽きる出来事に終わり、他方では意味と反応の連鎖を引き起こす。グレゴリー・ベイトソンは精神と自然で、この二つの世界を隔てる論理の違いを、グノーシス主義に由来する語彙——プレロムとクレアチュラ——によって定式化した。
由来:グノーシスからユング、そしてベイトソンへ
プレロムとクレアチュラという対概念は、もともと古代グノーシス主義の宇宙論に由来する言葉だとされる。ベイトソン自身はこれを直接グノーシス文献から取ったのではなく、カール・ユングが1916年に記した小品『セプテム・セルモネス・アド・モルトゥオス(死者への七つの語らい)』を経由して受け取ったと本書で述べている。ユングにとってプレロムは、あらゆる対立や区別がまだ生じていない未分化な充満を、クレアチュラは個々の性質や境界を与えられプレロムから分かたれた被造物の領域を指していたとされる。ベイトソンはこの区別を借りながらも、自分の目的——生命現象と物理現象を峻別する枠組みを作ること——に合わせて再定式化した。彼の手にかかるとプレロムは物理的な力・質量・エネルギーが支配する世界、クレアチュラは差異・パターン・情報が支配する生命と精神の世界という、より具体的な対比に生まれ変わる。
二つの論理:力の世界と差異の世界
プレロムの世界では、原因は力や衝突として直接的に伝達される。ビリヤードの球がぶつかれば、質量と速度だけで結果が決まる。ところがクレアチュラの世界を動かしているのは力ではなく、差異の差異——違いが違いとして受け取られて初めて効果を持つという、情報の論理である。犬が蹴られて態度を変えるのは、伝わったエネルギーの量そのものによってではなく、その出来事が犬にとって「何を意味するか」という差異が伝達されるからだ。この情報の論理は力の量には還元できず、エピステモロジーの水準——何が知られ、何が意味を持つかという水準——でしか記述できないと、ベイトソンは論じる。
『精神と自然』における意義
この二分法は本書の随所で呼び出される。ベイトソンが示すマインドの基準——精神的過程を特徴づける一群の条件——は、突き詰めればクレアチュラをプレロムから区別するための基準に他ならない。彼が探究するパターンをつなぐパターンという主題も、クレアチュラの内部でしか成立しない関係性の網の目を指し示していると言えるだろう。物理学の言語だけでは生命も精神も進化も語り尽くせないという本書の核心的主張は、この二つの世界がそもそも異なる論理で動いているという前提の上に築かれている。プレロムとクレアチュラを混同すること——力の言葉で意味を語り、意味の言葉で力を語ること——を、ベイトソンは科学における最も根深い誤りの一つとみなしたとされる。
この概念を扱う本
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この概念を扱う本(1冊)
グレゴリー・ベイトソン(佐藤良明訳)
ベイトソンはユングからこの区別を借用し、生命と精神の独自性を説明する枠組みとして再定式化した。自然科学の物理的記述だけでは生命現象を捉えられないという本書の核心的主張を支える。