知脈

学習のレベル

Learning I/II/III階層的学習重ね学習学習のタイプ

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精神と自然』で「学習のレベル」を読む

グレゴリー・ベイトソン(佐藤良明訳)

前著『精神の生態学』から続く中心概念を本書でさらに展開。学習と進化の類比としても論じられ、個体の学習過程と種の進化が同型的な確率論的構造を持つことが示される。

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同じ失敗を繰り返す人と、失敗のたびに自分の行動パターンそのものを組み替えていく人がいる。この違いを意志力や才能の差ではなく、学習という営みそのものが複数の異なる次元を持つこととして捉え直したのが、グレゴリー・ベイトソンの学習のレベルという概念だ。犬がベルの音でよだれを垂らすようになることと、人が「自分はいつも失敗する」という自己像を身につけることと、その自己像そのものを人生の危機のなかで組み替えることは、どれも「学習」と呼ばれながら、まったく種類の異なる出来事である。ベイトソンはこの違いを曖昧にせず、Ⅰ・Ⅱ・Ⅲという階層として定式化した。

学習Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ——何が変わるのか

精神と自然でベイトソンが整理する学習の階層は、単純な水準から見ていくとわかりやすい。学習Ⅰは、ある文脈のなかで特定の刺激に対する反応が修正されること——パブロフの犬が条件づけによってベルの音でよだれを垂らすようになる類の変化である。ここでは反応そのものは変わるが、反応が置かれている文脈の認識は変わらない。

学習Ⅱは、学習Ⅰがどんな文脈で起きているかを学ぶことだ。経験の流れをどう区切り、どんな種類の状況として捉えるかというパターンの学習であり、ベイトソンはこれを「重ね学習」と呼んだ。ここで身につくのは特定の反応ではなく反応の選び方の癖であり、性格や対人関係の型と呼べるようなものの多くはこの水準で形づくられる。

学習Ⅲは、学習Ⅱが形づくった前提そのものを組み替えることを指す。これは滅多に起こらず、心理療法や宗教的回心、人生を揺るがす危機を通じてしか生じないことが多い。ベイトソンは依存からの回復や人格変容をその実例として論じたことで知られる。さらにその先の学習Ⅳ——学習Ⅲの前提を変えること——は、個体の一生のなかでは起こらないだろうとベイトソン自身が留保をつけている。

なぜ階層なのか——論理階型という背骨

学習のレベルを単なる「学習の深さ」の違いとして片付けないところに、この概念の核心がある。ベイトソンが依拠するのは論理階型の考え方だ。あるクラスに属するメンバーについてのメッセージと、そのクラス自体についてのメッセージは論理的に異なる階型に属する——この区別を、ベイトソンは学習理論に持ち込んだ。学習とは差異の差異を検出して反応を調整する情報処理だとすれば、学習Ⅱはその検出のパターン自体についての、一段上の情報処理にあたる。だからこそ学習Ⅱは学習Ⅰの単なる延長や積み重ねでは説明できず、行動を変えることと性格を変えることは根本的に異なる作業になる。

学習と進化のあいだ

前著『精神の生態学』から続くこの主題を、本書はさらに進化論と接続することで押し広げる。ベイトソンは、個体が一生のうちに経験する学習と、種が世代を超えて経験する進化を、ともに試行と選択的な保持の組み合わせからなる確率論的プロセスと選択として捉え直した。突然変異が現れては自然選択によって保持されたり淘汰されたりする過程と、行動のバリエーションが試みられては強化されたり消えたりする学習の過程は、形式的には同型だとベイトソンは論じる。個体の学習と種の進化を貫くこの相似は、両者が同じ論理階型の入れ子構造を共有していることを示唆している。

学習のレベルという階層そのものが、ある水準での変化がさらに上位の水準の変化を可能にしていくという再帰的な構造を持つ。個体の学習にも種の進化にも、そして生態系全体にも同じ論理の階層が繰り返し現れるという着想は、本書全体を貫くパターンをつなぐパターンを探る試みのなかで、学習のレベルが最も具体的な検証の場になっていることを示している。

この概念を扱う本

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精神と自然
精神と自然

グレゴリー・ベイトソン(佐藤良明訳)

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前著『精神の生態学』から続く中心概念を本書でさらに展開。学習と進化の類比としても論じられ、個体の学習過程と種の進化が同型的な確率論的構造を持つことが示される。