再帰性
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この概念を本でたどる
『精神と自然』で「再帰性」を読む
グレゴリー・ベイトソン(佐藤良明訳)
ベイトソンは再帰性を精神プロセスの本質的特徴と見なす。本書では生物の形態形成から文化的な学習まで、再帰的な回路ループが「精神」を生み出す構造的基盤であることを論じる。
この本とのつながりを見る誰かがある文の中で自分自身について語るとき、その文はどの階層に立っているのか。再帰性(recursion)とは、あるプロセスが自分自身を対象として組み込む構造を指す。自己言及、自己回帰、入れ子構造とも呼ばれ、一見すると論理学上の言葉遊びに見えるかもしれない。しかしグレゴリー・ベイトソンは、生物の発生から進化、思考、コミュニケーションに至るまで、この構造がいたるところに貫通していることを見出した。出力が回路を巡ってふたたび入力へと戻るとき、単線的な因果には現れない何かが立ち上がる——それこそが「精神」と呼ばれる現象の土台だとベイトソンは考えた。
「精神の基準」としての再帰性
精神と自然でベイトソンは、何を満たせば「精神」と呼べるのかという問いに、いくつかの基準で答えようとした。その中心にあるのが、精神過程は円環的、あるいはそれ以上に複雑な決定の連鎖を必要とする、という条件である。Aの原因がBで、Bの原因がCだという一直線の因果だけでは、精神は生まれない。出力の一部がシステム自身へと折り返され、次の振る舞いの条件になるとき、はじめて精神的な性質が姿を現す。この考えはマインドの基準としてベイトソンの議論全体を貫いており、再帰性はそのもっとも土台にある条件として位置づけられている。
自己言及のパラドックスとその効用
再帰性には危うさもつきまとう。「自分自身のメンバーではないすべての集合の集合」というラッセルのパラドックスが示すように、自己言及はしばしば論理矛盾を生む。バートランド・ラッセルはこれを回避するために、命題や集合には超えてはならない階層の区別——論理階型——があると論じた。ところがベイトソンは、形式論理がこれほど警戒する自己言及を、生物やコミュニケーションの世界は日常的に、しかも健全に行っていると指摘する。会話は会話そのものについて語り(メタコミュニケーション)、精神は自分自身の思考について思考する。階型の混同は病理を生むこともあるが、階層をまたいで自己を参照する能力こそが学習や創造性の源泉にもなるとベイトソンは考えた。ダグラス・ホフスタッターがゲーデル、エッシャー、バッハで描いたストレンジ・ループも、階層を昇りつめた先で出発点に舞い戻ってしまうという、同じ形の逆説を扱っている。
発生・進化・学習を貫く回路
再帰的な回路は生物の形態形成にも見て取れる。ある段階の細胞分裂がつくり出す構造そのものが、次の分裂が起こる条件を変えていく——胚発生とは、自分の産物を材料にして自分を組み立て直し続ける過程にほかならない。進化もまた同型の回路として理解できる。表現型が環境の中で選択され、その結果が次世代の遺伝子頻度を変え、変化した集団がふたたび選択の場に置かれる。ベイトソンにとってサイバネティクスのフィードバック概念は、こうした生物学的な回路を語るための語彙を与えるものであり、工学の言葉を精神と生命の領域にまで拡張する橋渡しとなった。
再帰性は、ベイトソンが生涯をかけて探し続けた精神と生命のつながりを支える、もっとも基本的な仕掛けの一つだ。学習が学習の仕方そのものについて学習していく階層も、同じ構造の延長線上にある。ループがそれ自身を巻き込みながら回り続けるところに、ベイトソンは生命と精神とを分かつ最後の一線を見ていた。
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この概念を扱う本(1冊)
グレゴリー・ベイトソン(佐藤良明訳)
ベイトソンは再帰性を精神プロセスの本質的特徴と見なす。本書では生物の形態形成から文化的な学習まで、再帰的な回路ループが「精神」を生み出す構造的基盤であることを論じる。