認識論的断絶
CONCEPT → BOOK
この概念を本でたどる
『言葉と物』で「認識論的断絶」を読む
ミシェル・フーコー(渡辺一民 / 佐々木明訳)
本書は類似から表象へ、表象から近代の実定性(生・労働・言語)へという二度の断絶を軸に構成され、思想史を連続的な発展として語る従来のやり方を批判する足場になっている。ある時代に自明だった知の枠組みが、次の時代にはほとんど理解不能になる非連続性が随所で強調される。
この本とのつながりを見る認識論的断絶とは、ある時代の知の枠組みから別の時代の枠組みへの移行が、連続的な進歩の積み重ねではなく、不連続で急激な「断絶」として生じるという歴史観である。フランスの科学哲学者ガストン・バシュラールらが科学史における非連続性を論じた系譜を背景に、ミシェル・フーコーが知の変遷全体を捉える視点として練り上げた考え方で、思想史の書き方そのものを問い直す視座として広く参照されてきた。
断絶史観の起源
20世紀前半、バシュラールは化学や物理学の歴史を検討し、新しい科学的認識は旧来の常識や先行理論の単純な延長として洗練されるのではなく、それらを「認識論的障害」として断ち切ることで初めて成立すると論じたとされる。この非連続性の発想はバシュラール自身の言葉で rupture épistémologique(認識論的断絶)と呼ばれ、科学史を発見の連続的な蓄積として語る通念への異議でもあった。フーコーはこの視座を引き継ぎながら、個々の科学理論の妥当性ではなく、ある時代に何が知として語りうるかを規定する枠組み全体、すなわちエピステーメーの水準へと適用対象を広げた。
エピステーメーの交代という断絶
フーコーにとって知の歴史は、旧い枠組みが徐々に洗練されながら新しい枠組みへ発展していく過程ではない。ある時代に自明だった思考の規則が、次の時代の目にはほとんど理解不能な異物として映るほどの飛躍として生じる。進歩や発展という単線的な物語でこの変遷を語る従来の思想史記述は、断絶そのものを覆い隠してしまうとフーコーは考えたとされる。この姿勢は、連続的な起源や影響関係を遡るのではなく、各時代の知を成り立たせる規則そのものを掘り起こす考古学的方法を要請することになる。
『言葉と物』の二度の断絶
本書は二度の断絶を軸に構成される。一度目は17世紀半ば、類似を編成原理としたルネサンスの知から、博物学・一般文法・富の分析といった学問領域で事物を秩序立てて配置する表象の秩序へ移行する断絶である。二度目は19世紀初頭、表象の秩序に代わって生物学・経済学・言語学という新たな諸科学を通じ、生・労働・言語という実定性が知を組織化する近代への断絶であり、この転換のただなかで「人間」が認識する主体であると同時に認識される対象として立ち現れたとされる。いずれの断絶も、前の枠組みの延長や洗練としてではなく、編成原理そのものが突如として入れ替わる出来事として描かれる。
断絶史観がもたらす視点
知の枠組みが不連続に交代するという見方は、「人間」という認識対象が近代の断絶とともに現れたにすぎない、比較的新しい発明であるという指摘につながる。ある枠組みが生み出したものである以上、次の断絶が訪れれば波打ち際の砂に描かれた顔のように消え去りうるというのが、人間の終焉という主張の骨子をなす。連続的進歩という物語を退けるこの断絶史観は、後のポスト構造主義的な歴史記述にも影響を与えたとされる一方、どこに断絶の切れ目を引くかは論者の解釈に依存するという批判も受けてきた。
この概念を扱う本
概念ネットワーク
線の太さは共通する本の数を表しています。ノードをクリックすると概念ページに移動します。
この概念を扱う本(1冊)
ミシェル・フーコー(渡辺一民 / 佐々木明訳)
本書は類似から表象へ、表象から近代の実定性(生・労働・言語)へという二度の断絶を軸に構成され、思想史を連続的な発展として語る従来のやり方を批判する足場になっている。ある時代に自明だった知の枠組みが、次の時代にはほとんど理解不能になる非連続性が随所で強調される。