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言語の存在様態

言語の再来l'être du langage文献学の成立言語の自律化

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言葉と物』で「言語の存在様態」を読む

ミシェル・フーコー(渡辺一民 / 佐々木明訳)

本書は結論部でマラルメらの文学に言及しつつ、表象の透明な媒体だった言語が近代に自律した対象となる過程と、エピステーメー全体の変動を映す指標としての言語の位置づけを扱う。言語が独自の重みを取り戻す動きは、人間という形象の不安定化と表裏の関係にあるとされる。

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言語の存在様態とは、言語という対象そのものの位置づけが、古典主義時代から近代にかけて根本的に変化した過程を指す概念である。表象を映す透明な媒体にすぎなかった言語は、十九世紀に文献学という独自の歴史と法則を持つ実定的な学の対象となり、さらに文学において言語そのものの存在感が回帰する。ミシェル・フーコーは『言葉と物』で、この三段階の変化を個々の言語論としてではなく、西欧のエピステーメー全体の変動を映す指標として描き出す。

表象の透明な道具だった言語

古典主義時代の一般文法において、言語は思考や事物をそのまま映し出す透明な記号の体系にすぎなかったとされる。ポール・ロワイヤル文法に代表されるように、語の並びは観念同士の関係を分析し秩序立てて示す一枚の表のようなものとみなされ、表象の秩序を構成する一要素として機能する限りで意味を持った。言語それ自体の由来や内的な歴史が問われることはなく、何かを指し示す働きの背後に絶えず退くものだったと言える。

文献学の成立と言語の実定化

十八世紀末からの認識論的断絶を経て、言語の位置づけは一変する。ボップやグリムらの比較文献学は、語の由来や音韻変化に内的な法則性を見出し、言語をあたかも根や系統を持つ生き物であるかのように扱い始めた。言語はこうして、キュヴィエの比較解剖学における生命、リカードらの経済学における労働と並ぶ実定的な学の対象となり、人文諸科学の成立を準備する土台の一つとなったとされる。この転換は同時に、エピステーメー全体が、事物を一望する表象の秩序から、起源と発展をたどる歴史性の秩序へ移行したことを映す指標でもあった。

自律化する言語と人間という形象

言語が独自の歴史と法則を持つ対象になったことで、人間は語る主体でありながら、その言語の法則を自ら作り出したわけでも、完全に掌握しているわけでもない存在として現れることになる。人間は自らを対象として知ろうとする経験的な存在であると同時に、あらゆる知を可能にする条件でもあるという二重の位置に置かれる。フーコーは、この語る主体としての人間の不安定さそのものが、言語が対象として自律化していく動きと軌を一にすると論じる。

マラルメと言語の再来

十九世紀後半、文献学による言語の実定化とは別の場所で、言語そのものの存在(l'être du langage)が回帰する出来事が起きたとされる。ステファヌ・マラルメ(フランスの詩人)らの文学は、言語を何かを伝達するための手段としてではなく、それ自体として存在するものとして扱い、単語が意味へと解消されずに残る余白を作り出した。同様の運動は、アルトーやルーセルら後続の作家にも見出されるとされる。フーコーは『言葉と物』の結論部で、この言語の再来が人間の終焉という主題、つまり人間という形象そのものの不安定化と表裏の関係にあると位置づけている。言語が独自の重みを取り戻す運動と、人間という近代的な形象の揺らぎは、同じ変化の両面として描かれるのである。

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言葉と物
言葉と物

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本書は結論部でマラルメらの文学に言及しつつ、表象の透明な媒体だった言語が近代に自律した対象となる過程と、エピステーメー全体の変動を映す指標としての言語の位置づけを扱う。言語が独自の重みを取り戻す動きは、人間という形象の不安定化と表裏の関係にあるとされる。