知脈

本能行動

本能生得的行動Instinkt

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この概念を本でたどる

生物から見た世界』で「本能行動」を読む

ユクスキュル / クリサート(日高敏隆訳)

動物のさまざまな本能的行動を例に挙げ、これらが環世界という主体的な意味の枠組みの中で初めて理解できるという立場から論じている。

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なぜミツバチは誰にも教わらずに巣を精緻な六角形に組み上げられるのか。なぜダニは獲物を一度も見ないまま、汗の匂いと体温だけを頼りに宿主の背に飛びつけるのか。学習や経験を経ずに生得的に組み込まれたこの行動パターンを、生物学は本能(Instinkt)あるいは生得的行動と呼び、長らく精巧な歯車仕掛けの反射連鎖として説明してきた。しかしヤーコプ・フォン・ユクスキュルとゲオルク・クリサートは、本能行動を機械的な自動反応としてではなく、その動物が生きる環世界のうちで初めて意味を持つ、主体的な行動として読み直す。本能は不変であっても盲目ではない、という逆説がここにある。

機械論への異議:反射の連鎖では説明がつかない

20世紀前半の生理学は、複雑な本能行動を単純な反射の積み重ねへと還元しようとした。刺激Aが反応Bを引き起こし、その結果が新たな刺激Cとなって反応Dを呼ぶ——行動を機械の伝動装置になぞらえる発想である。生物から見た世界でユクスキュルとクリサートは、この機械論批判の立場から、本能行動を「刺激に対する受動的な反射」として片付ける説明に異を唱えた。外部から観察できる刺激と反応の対応だけで動物を説明しようとする、同時代の行動主義的な発想とも、この立場は一線を画す。どれほど複雑で精密な本能行動であっても、部品の集合として分解した瞬間、その行動が当の動物にとって持つ意味は失われてしまうという指摘である。行動の意味は、動物自身が生きる環世界を離れては論じられない。

標識が結ぶ本能の環

では本能行動をどう捉え直すのか。本書はクモが糸で獲物を捕らえる行動や、ミツバチが花を訪れる行動を例に、一つひとつの本能的動作が知覚と行為の往復として成立していると論じる。動物は匂い・温度・振動といった特定の知覚標識(Merkmal)を受け取ると、それに応じた作用標識(Wirkmal)を対象に刻み、対象の変化がまた新たな知覚標識を生む。この閉じた往復回路が機能環であり、ダニの環世界で描かれる、酪酸の匂いと体温だけを頼りに落下し血を吸う一連の動作も、この環の具体例にほかならない。本能行動とは、あらかじめ決まった標識の組にしか反応しない、動物ごとに固有の意味の回路なのである。

「盲目の自動機械」ではなく主体の行動として

この捉え方が含意するのは、本能行動を営む動物が外界の刺激に操られる受動的な物体ではなく、自らの環世界に沿って世界を意味づける主体だという立場である。本能は学習によらないという意味で確かに固定的だが、その固定性は環世界という枠組みの中で秩序立てられた計画性の表れであり、偶発的な機械の作動ではない、と本書は論じる。動物を精巧な自動人形とみなす発想では、この計画性そのものが見えなくなってしまう。

動物行動学とその先への継承

この視点は、のちにコンラート・ローレンツやニコ・ティンバーゲンらが動物行動学で唱えた「生得的解発機構」や信号刺激といった概念に引き継がれたとされる。刺激と反応を機械的に結びつけるのではなく、生物が環境と意味を通じて結びつくという発想は、動物の行動を理解しようとするその後の生物学・認知科学の議論にも影を落とし続けている。

この概念を扱う本

この概念を扱う本(1冊)

生物から見た世界
生物から見た世界

ユクスキュル / クリサート(日高敏隆訳)

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動物のさまざまな本能的行動を例に挙げ、これらが環世界という主体的な意味の枠組みの中で初めて理解できるという立場から論じている。