知脈

環世界

Umwelt環世界論主体的世界

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この概念を本でたどる

生物から見た世界』で「環世界」を読む

ユクスキュル / クリサート(日高敏隆訳)

本書全体を貫く中心概念で、書名(生物から見た世界/Streifzüge durch die Umwelten von Tieren und Menschen)そのものがこの語を指す。ダニ・ハエ・イソギンチャクなど多数の生物例を通じて解説される。

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環世界(Umwelt)とは、生物がそれぞれの感覚と運動の能力に応じて意味づけて構成する、その生物だけの主体的な知覚・行動世界を指す。同じ場所に立っていても、なぜ生物によって見えている世界はまるで違うのか——この問いこそが出発点になる。誰にとっても同一のはずの客観的な環境(Umgebung)と、生物ごとに立ち上がる主観的な環世界は根本的に別物だとされる。ヤーコプ・フォン・ユクスキュルとゲオルク・クリサートによる生物から見た世界は、この一語を解き明かすためだけに書かれたと言ってよい本であり、原題「動物と人間の環世界への散策」そのものがこの概念を指し示している。ダニ、ハエ、イソギンチャクという地味な生きものたちを主人公に据えることで、本書は「世界はひとつではない」という事実を静かに、しかし決定的に突きつける。

「環境」から「環世界」へ:生物学の主語を変える

20世紀初頭の生物学では、動物を外部刺激に機械的に反応するだけの存在として扱う発想が主流だった。そこでは全ての生物が同じひとつの客観的環境の中に置かれ、その環境の広さや豊かさがそのまま動物の経験だとみなされていた。ユクスキュルはこの前提そのものに異を唱える。生物は環境を受け身に映す鏡ではなく、自分の感覚器官と運動器官が扱える範囲だけを選び取り、そこに意味を与えて固有の世界を編み上げる主体だという。生物学の主語を「環境」から「生物自身」へと移し替えるこの転換こそが、本書の出発点になっている。

ダニが教える、たった三つの信号の世界

環世界という発想を説明する例として最も知られているのが、本書の冒頭に置かれたダニの環世界である。血を吸うダニはほとんど目も耳も使わず、獣の皮膚から漂う酪酸の匂い、体温の温もり、体毛に触れた感触という、たった三つの信号だけを頼りに枝の上で長く待ち続け、獲物の上に落下して吸血する。人間の目にはあまりに貧しい世界に映るが、ダニにとってはこの三つの信号こそが世界の全てであり、それ以外の情報はそもそも存在しないに等しい。生物が知覚できる標識の総体と、生物が働きかけられる作用の総体が組み合わさって一つの輪をなすという構造は、知覚世界と作用世界として整理される。

シャボン玉の中の生

ユクスキュルはこの入れ子構造を、ひとつの比喩に凝縮してみせた。あらゆる生物は、自分だけのシャボン玉に包まれて生きているというものだ。シャボン玉の壁は、その生物が知覚し作用できる範囲の外周にあたり、内側には意味を持つものだけが浮かんでいる。同じ草原に立っていても、人間のシャボン玉と犬のシャボン玉とミミズのシャボン玉はまるで大きさも中身も違う。シャボン玉モデルと呼ばれるこの像は、客観的な空間の広さと生物が生きる世界の豊かさが一致しないという事実を、専門用語なしに直感させてくれる。

環世界概念のその後:記号論から認知科学へ

環世界は一学説にとどまらず、20世紀以降の思想に長い影を落としたとされる。ハイデガーは動物を「世界貧乏」と呼ぶ議論の中で環世界論を存在論に取り込んだとされ、メルロ=ポンティも身体と知覚をめぐる哲学にこの発想を接続したと言われる。トーマス・セベオクをはじめとする研究者たちは、生物が記号を介して世界と関わるという発想を生物記号論として体系化し、ユクスキュルをその創始者のひとりに位置づけている。認知とは脳の中だけで完結する出来事ではなく、生物が世界と取り結ぶ関係そのものだという発想は、後の身体化認知エナクションの議論にも重なると論じられる。一匹のダニの生から出発した思索が、生命とは何かを問い直す土台をいまも作り替え続けている。

この概念を扱う本

この概念を扱う本(1冊)

生物から見た世界
生物から見た世界

ユクスキュル / クリサート(日高敏隆訳)

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本書全体を貫く中心概念で、書名(生物から見た世界/Streifzüge durch die Umwelten von Tieren und Menschen)そのものがこの語を指す。ダニ・ハエ・イソギンチャクなど多数の生物例を通じて解説される。