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シャボン玉モデル

シャボン玉の比喩Seifenblase環世界の比喩

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生物から見た世界』で「シャボン玉モデル」を読む

ユクスキュル / クリサート(日高敏隆訳)

環世界という概念を読者に印象づける象徴的なイメージとして本書に登場し、後年の解説や紹介でもユクスキュルの環世界論を語る際にしばしば引用される著名な比喩になっている。

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草原に立って風景を眺めるとき、そこにいるすべての生き物が同じ一つの世界を共有していると私たちは思い込みやすい。しかしユクスキュルは、一匹ずつの生物にシャボン玉のような透明な膜をかぶせてみることを提案する。シャボン玉モデル(原語ではSeifenblaseと呼ばれる)とは、それぞれの生物が自分の知覚できる範囲だけに閉じた球状の空間——環世界——に包まれて生きていることを、視覚的かつ直感的に伝えるための比喩である。同じ野原に立っていても、そこに広がる「世界」は生物の数だけ存在する。

シャボン玉の中身を決めるもの

シャボン玉の膜の内側を満たすのは、その生物が知覚できる対象と、働きかけることのできる対象だけだとユクスキュルは説明する。膜の外側でどれほど多くの出来事が起きていようと、その生物にとっては存在しないに等しい。この膜の内部を形づくる二つの極が知覚世界と作用世界である。知覚できるものだけが「そこにある」ものとして現れ、働きかけられるものだけが「意味を持つもの」として立ち現れる。シャボン玉は物理的な壁ではなく、感覚器官と運動器官の性能によって内側から描かれる境界線であり、生物ごとに大きさも形もまったく異なる。

ダニという極小のシャボン玉

この比喩がもっとも鮮やかに働く例がダニの環世界である。酪酸のにおい、体温の熱、体毛の触感——ダニを包むシャボン玉の中身はわずかこの三つの刺激だけで満たされ、他のあらゆる情報は球の外に置き去りにされる。人間の目には豊かに見える森の情報の大半が、ダニのシャボン玉には端から入り込む余地を持たない。この極端な単純さゆえに、シャボン玉モデルは抽象的な理論というより、誰もが実際に思い描ける具体的なイメージとして機能する。

なぜ「シャボン玉」でなければならなかったか

ユクスキュルがこの比喩に込めたのは、閉鎖性と多数性という二つの性質を同時に伝えることだったとされる。一枚の牧草地を思い浮かべてみるとよい。歩き回る甲虫にも、飛び交う蝶にも、そこに佇む人間にも、それぞれの頭上に透明な球が浮かんでおり、球の中身は互いにひとつとして重ならない。シャボン玉は内と外を隔てる薄い膜を持ちながら、現実の石けん玉とは異なり、同じ場所に無数に重なり合って浮かぶことができる。この像は、生物を外部から操作される受け身の部品とみなす発想とは正反対の含みを持つ。それぞれの生物は自分のシャボン玉の中心に主体として座り、みずからの知覚に応じて世界を編み上げている——ユクスキュルが唱えた生物の主体性を、シャボン玉モデルほど一言で伝えられる表現は他になかった。

環世界論の顔としての比喩

シャボン玉モデルは本書の中では一つの象徴的な場面にすぎないが、後世の紹介や解説では環世界という概念そのものの代名詞のように扱われることが多い。専門用語としての環世界を説明しようとする文章の多くは、まずこのシャボン玉の像を提示してから理論の骨格へと入っていく。生物をそれぞれ閉じた記号の世界の住人とみなす生物記号論の系譜においても、この比喩はしばしば出発点として参照される。難解になりがちな環世界論を、誰もが一度は目にしたことのあるシャボン玉という日常の像に接続した点にこそ、この比喩が長く生き延びてきた理由があるといえる。

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生物から見た世界
生物から見た世界

ユクスキュル / クリサート(日高敏隆訳)

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環世界という概念を読者に印象づける象徴的なイメージとして本書に登場し、後年の解説や紹介でもユクスキュルの環世界論を語る際にしばしば引用される著名な比喩になっている。