生物記号論
CONCEPT → BOOK
この概念を本でたどる
『生物から見た世界』で「生物記号論」を読む
ユクスキュル / クリサート(日高敏隆訳)
本書自体は「記号論」を体系的な学術用語として展開してはいないが、知覚標識・作用標識という概念枠組みが後の生物記号論の源流の一つとされ、本書の理論的射程を語る文脈でしばしば言及される。
この本とのつながりを見るダニは草の葉先で獲物を待つとき、酪酸の匂いを化学物質として認識しているのではない。それを「今すぐ落下せよ」という合図として受け取っているにすぎない。生物記号論とは、こうした生物の知覚と行動を、対象が担う標識や意味の関係として記号論的に読み解こうとする学問領域である。物理的にはただの分子でしかないものが、生物にとっては行動を促す「意味」に変わる——この見立ての先駆者の一人に位置づけられるのが、生物から見た世界を著したヤーコプ・フォン・ユクスキュルである。
記号論という語を使わずに記号論を語った本
本書自体は、記号論を体系的な学術用語として展開してはいない。ユクスキュルとクリサートが用いたのは、知覚標識(メルクマール)と作用標識(ヴィルクマール)という一対の素朴な語彙だった。生物は対象の性質をありのままに受け取るのではなく、自らの感覚器官と運動器官が対象に付与した「標識」だけを介して世界と関わる。知覚世界と作用世界を結ぶこの円環的な仕組みは、対象と生物のあいだで交わされる合図のやり取りとして描かれており、記号論が扱う「記号と、それが指し示す意味」の関係と重なる構造を持つと見ることができる。ダニの環世界で示される、酪酸・体温・血液という三つの標識だけで構成された単純きわまる知覚世界は、生物を意味の担い手とみなす発想の最も分かりやすい実例として、のちにたびたび引用されることになる。
「生物記号論」と名づけたのは誰か
ユクスキュル自身が自らの理論を「記号論」と呼んでいたわけではない。生物記号論(Biosemiotics)という語そのものは、精神科医フリードリヒ・ロートシルトが1962年の論文で最初に用いたとされる。この語を一つの学問領域として育てたのはトーマス・セベオクで、ユクスキュルの仕事を再発見して環世界論とチャールズ・パースの記号論的な枠組みとを結びつけたことが、20世紀後半に分野が形をなす転機になったとされる。生命記号論・記号論的生物学とも呼ばれるこの立場は、動物の行動を刺激と反応の機械的な連鎖として説明する行動主義的な見方に対し、生物を意味の解釈者として捉え直す視座を提供した。動物行動学の一事例にとどまっていた環世界論は、こうして生命現象一般における意味生成の理論へと引き上げられていく。生物記号論という学問領域は、いわば半ば遡行的に、本書のうちに自らの起源を発見したのだと言える。
意味はどこに存在するのか
生物記号論が突きつける問いは、意味とはどこに存在するのか、というものだ。酪酸の分子構造そのものには「合図」という性質は含まれていない。それを合図として成立させているのは、受け取る生物の側の解釈の構えである。この区別は、グレゴリー・ベイトソンがのちにクレアチュラとプレロムという対比によって語り直した区別——意味や差異が働く生物の領域と、意味を持たない物理の領域——とも重なり合うと論じられることがある。本書が体系化しなかった「記号論」という言葉を後の世代が与えたことで、標識という素朴な語彙で描かれた関係は、生命と意味の結びつきを問う議論の出発点として読み直された。一冊の観察記が半世紀以上を経て学問領域の名前を得るに至った経緯そのものが、この本の理論的射程の広さを物語っている。
この概念を扱う本
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この概念を扱う本(1冊)
ユクスキュル / クリサート(日高敏隆訳)
本書自体は「記号論」を体系的な学術用語として展開してはいないが、知覚標識・作用標識という概念枠組みが後の生物記号論の源流の一つとされ、本書の理論的射程を語る文脈でしばしば言及される。