知脈

大きな非物語

grand non-narrative非物語的なデータベース

CONCEPT → BOOK

この概念を本でたどる

動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』で「大きな非物語」を読む

東浩紀

第2章の柱となる概念で、物語消費論を更新しデータベース消費モデルへ接続する理論的な蝶番として提示される。

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断片を集めた先に、物語がない

物語消費論は、断片の背後に一貫した世界が控えている、という前提の上に立っている。シールを集めれば神話が見えてくる。設定資料を読み込めば作品世界の全体像が手に入る。東浩紀が『動物化するポストモダン』第2章で問うのは、その前提が1990年代のオタク文化でまだ成り立っているのか、である。

東の答えは否だ。断片の背後にあるものはたしかに存在する。しかしそれは物語ではない。キャラクターの属性、世界の細部、記号化された要素が、筋も因果も持たないまま堆積した集積である。東はこれを大きな非物語と呼ぶ。物語消費論の語彙をそのまま借りながら、その中身を入れ替える一手であり、本書の理論的な蝶番はここにある。

ガンダムからエヴァンゲリオンへ

東が対比に使うのは、『機動戦士ガンダム』と『新世紀エヴァンゲリオン』の受容のされ方だ。ガンダムのファンは、複数の作品を貫く宇宙世紀という架空の年表を精読した。個々の作品はその歴史の一断面であり、断片の先には統一された歴史がある。物語消費の典型である。

エヴァンゲリオンの場合、東の見立てでは事情が違う。受け手が向かったのは作品世界の全体像を確定させることよりも、設定の断片とキャラクターそのものだった。物語の空白は解かれるべき謎としてよりも、各自が埋めて使う余白として扱われる。深層に問い合わせるべき「正解の物語」は最初から想定されていない、というのが東の観察である。

ただしこの読みには批判がある。エヴァの受容が本当に非物語的だったのか、ファンは作家性や物語性にこそ反応していたのではないか、という反論は繰り返し提出されてきた。大きな非物語を認めるかどうかは、本書への賛否の分岐点でもある。

「非物語」が意味するもの

非物語という語の要点は、意味の欠如ではなく順序の欠如にある。物語は出来事を時間と因果で配列し、どこから読むかを規定する。集積にはその配列がない。項目が並んでいるだけで、どこから引き出しても、どう組み合わせてもよい。意味を問わずに単位として扱えるという点では、情報理論が扱う「情報」の性格に近い。

ここから東は二つのモデルを対置する。近代はツリー型の世界だった。表層の小さな物語の下に深層の大きな物語があり、深層が表層を規定する。表層の背後に深層構造を読み取るという発想自体は構造主義の世界像と重なり、日本では『構造と力』などがその図式の内側から限界を論じていた。

ポストモダンはデータベース型の世界である。深層にあるのは非物語なので、表層の見え方を一意に決めない。何を引き出しどう読むかの主導権は受け手の側へ移る。同じデータベースから互いに矛盾する表層がいくらでも生成され、そのどれもが「正しい読み」を主張できない。参照すべき原典が存在しないまま模造品だけが増える事態が、この構造から出てくる。

大きな非物語は、こうして物語消費とデータベース消費のあいだをつなぐ。深層に何が置かれているかを言い換えただけに見えて、消費者の位置と作品の身分がまとめて動く。

この概念を扱う本(1冊)

動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会

第2章の柱となる概念で、物語消費論を更新しデータベース消費モデルへ接続する理論的な蝶番として提示される。

隣の概念から、別の本へ

知脈でいま「大きな非物語」に結びついているのは『動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』の1冊です。 ただしこの本のなかで隣り合う概念をたどると、別の本へ出られます。