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シミュラークル

simulacresimulacrumオリジナルなきコピー

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この概念を本でたどる

動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』で「シミュラークル」を読む

東浩紀

二次創作やパロディが際限なく生産されるオタク文化を説明する枠組みとして援用され、データベースから直接生成される作品群の性格づけに用いられる。

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オリジナルなきコピーが自走する

二次創作をオリジナルの劣化版と見なす感覚は根強い。東浩紀は『動物化するポストモダン』で、オタク文化ではその区別そのものがすでに機能していないと述べ、ジャン・ボードリヤールのシミュラークル概念を持ち出す。ボードリヤールは、ポストモダン社会ではオリジナルとその複製の区別が弱まり、そのどちらでもない中間形態が支配的になると論じた。東が注で参照するのは『象徴交換と死』(1976年)と『シミュラークルとシミュレーション』(1981年)である。

この議論の手前には、同じ著者の『消費社会の神話と構造』(1970年)がある。そこでボードリヤールは、人が消費しているのは物の有用性ではなく差異の体系としての記号だと分析した。記号価値が使用価値から自立していく、その延長線上で、記号が指示すべき現実から切り離されて自走する段階を名指したのがシミュラークルだと理解しておくと、東の用法もつかみやすい。

東がオタク文化に見るのは、その状況が実際に市場として動いている光景だ。同人市場は量的にも質的にもオタク文化の中核であり、そこを無視して商業作品だけを見ても動向はつかめない。人気作家が自作のパロディ同人誌を売り、『美少女戦士セーラームーン』の原作者がコミックマーケットに出す。エヴァンゲリオンを制作した会社自身が自作をパロディにしたソフトを販売する。作り手の側でも区別は消えている。さらに東は、オタク系の作品はそもそも現実を参照せず先行作品の引用と模倣から世界を作ることが多いと指摘する。オリジナルが最初からシミュラークルであり、そのシミュラークルのシミュラークルが二次創作として増殖していく。

東がボードリヤールから離れる場所

ここからが東の独自の主張になる。従来のシミュラークル論は、ベンヤミンの複製技術と芸術をめぐる議論を出発点に、オリジナルとコピーを分けていた基準が失われ、記号が根拠なく漂い出すカオスとして事態を描いてきた。東はそれを不十分だと考える。実際には二次創作は無秩序に増えているのではなく、市場に残るものと消えるものがあるからだ。

東は大塚英志が論じたビックリマンシールを引き、773枚目のシールは先行する772枚と共通のデータベースを十分に共有していなければ、そもそも二次創作として認められないと書く。表層に溢れるシミュラークルの下には、良し悪しを選別する情報の層がある。だから問題の立て方は「オリジナル対コピー」から「データベース対シミュラークル」へ移す必要がある、というのが東の提案である。コピーはオリジナルからの距離ではなく、データベースからの距離で評価される。ボードリヤールの言う「ハイパーリアル」はシミュラークルの世界とデータベースの世界の双方を覆ってしまい、その二層構造を切り分けていない、というのが東の批判だ。

この見取り図は、二次創作者の一見矛盾したふるまいも説明する。彼らは原作を容赦なく切り刻んで再構成する一方で、原作者にやめてほしいと言われれば手を止めるほど保守的だ。東の説明では、表層のシミュラークルの水準で侵犯していても、設定という情報の水準では原作のオリジナリティはむしろ守られ、尊重されていると考えられている。作者はもはや神ではなくなり、代わりに萌え要素が神になった、と東は書く。

この概念を扱う本(3冊)

動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会

二次創作やパロディが際限なく生産されるオタク文化を説明する枠組みとして援用され、データベースから直接生成される作品群の性格づけに用いられる。

伝奇集
伝奇集

ホルヘ・ルイス・ボルヘス(鼓直訳)

50%

『ピエール・メナール』は原典と一字一句同じ複製が別の作品になる事態を、『バベルの図書館』は書かれうる全ての本が既に在る空間を描く。起源の優位が崩れた反復の世界を小説として先取りしている。

写真論
写真論

スーザン・ソンタグ

50%

複製されたイメージが蓄積されることで現実の方がイメージに似ていく転倒を論じ、写真が世界を等価な断片の目録に変える過程を追う。ボードリヤールの語は使わず、同じ転倒を写真の側から論じる。