知脈

物語消費

narrative consumption物語消費論大塚英志の消費論

CONCEPT → BOOK

この概念を本でたどる

動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』で「物語消費」を読む

東浩紀

第2章冒頭でデータベース消費モデルを導入する前提として検討され、東は大塚の枠組みを踏まえつつ1990年代的な消費様式との違いを論じる。

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買われているのは菓子でもシールでもない

1980年代後半、ロッテのビックリマンチョコに封入されたシールが爆発的に売れた。菓子は捨てられ、シールだけが集められた。大塚英志が『物語消費論 「ビックリマン」の神話学』(1989年)で立てたのは、では子どもたちは何を買っていたのか、という問いである。

シール1枚の裏に書かれているのは断片的な情報にすぎない。だが集めるうちに、天使と悪魔が争う神話的な世界の全体像が像を結んでくる。大塚の答えはこうだ。消費されているのは個々の商品(小さな物語)ではなく、その背後にある世界観と設定の総体(大きな物語)である。売り手は大きな物語を直接売ることができない。売れるのは小さな物語だけであり、消費者はそれを買い続けることでしか背後の全体に近づけない。この非対称が消費を駆動する。これが物語消費という概念である。

注意しておくと、これは大塚の概念であって東浩紀のものではない。東は後にこれを引き継いで書き換えるが、枠組みの発案者は大塚だ。

消費者が「次の1枚」を作りはじめる

大塚がこの理論で重視したのは、構造そのものが持つ帰結である。世界観の規則を手に入れた消費者は、その規則に従う新しい小さな物語を自分で作れてしまう。断片の生産は売り手の独占ではなくなり、同人誌や二次創作が理論の内側から必然として出てくる。大塚は日本の古典芸能に先例を見ていた。歌舞伎や人形浄瑠璃には、共有された世界設定を指す「世界」と、その上で個々の作者が施す工夫を指す「趣向」という区別がある。作者は世界を発明するのではなく、既存の世界に趣向を足す。物語消費における消費者の位置はこれに近い。

この点で物語消費論は、受け手を規格化された商品の受動的な受容者と見る文化産業論の系譜とは態度が違う。消費者は操作されるだけの存在ではなく、世界を再構成する能動的な読み手として描かれる。また、商品が使用価値ではなく差異の体系として消費されるという記号価値の議論(『消費社会の神話と構造』)とも隣接した場所にありながら、大塚が中心に据えたのは差異ではなく「物語」という語だった。

東浩紀による時代の限定

動物化するポストモダン』第2章の冒頭で、東はこの枠組みを議論の出発点に置く。東はそれを誤りとして退けるのではなく、適用範囲に時代の限定をかける。大塚が見た「大きな物語」は近代社会を統合していた物語そのものではなく、それが凋落したあとの空白を埋めるために作品ごとに用意された代替物である。1980年代の消費社会はまだその捏造を必要としていた。だから物語消費は、大きな物語なき時代の過渡的な形式だということになる。

そして1990年代のオタクは、その捏造すら求めなくなる。断片の背後に統一された世界があるという前提が外れたとき、物語消費論はそのままでは使えない。東がそこから大きな非物語とデータベース消費へ進むための足場が、この章での大塚の再読である。物語消費は、更新された理論に踏み台として組み込まれたことで、かえって参照され続ける概念になった。

この概念を扱う本(2冊)

動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会

第2章冒頭でデータベース消費モデルを導入する前提として検討され、東は大塚の枠組みを踏まえつつ1990年代的な消費様式との違いを論じる。

野生の思考
野生の思考

クロード・レヴィ=ストロース

40%

神話や儀礼を、限られた要素を組み替えて意味を作るブリコラージュとして分析し、個々の神話の背後にある体系を復元しようとする。断片から世界観を組み上げる営みの人類学的な原型。