知脈

言語の進化

language evolution言語起源origin of language

言語はヒトだけが持つ特異な能力でありながら、その起源はいまだ解明されていない進化生物学最大級の謎のひとつである。骨や石器と違って文法や統語そのものは化石として残らないため、いつ、どのように言語が生まれたのかを直接示す証拠はきわめて乏しい。近年ではこの謎に、言語を単なる意思疎通の手段としてではなく、ミームを高い忠実度で複製・伝達する装置として捉え、遺伝子とミームがたがいを駆動しながら進化したとみる視点が加わっている。

沈黙を強いられた問い

言語の起源は、学問的にタブー視されてきた歴史を持つ。1866年、パリ言語学会は規約に「言語の起源」と「普遍言語の創造」に関する論文を受理しない旨を明記した。証拠を欠いたまま思弁が乱立し、不毛な論争ばかりを生んでいたためとされる。この禁止令はその後長らく言語起源論を学界の傍流に追いやり、言語進化が本格的に科学の俎上に載るのは20世紀後半、生成文法や認知科学、比較認知研究の発展を待つことになった。今日でも事情は大きく変わらない。発話そのものは化石にならず、手がかりは喉頭の位置を推測させる舌骨や、脳表面の形状をわずかに伝える頭蓋内部の型など、間接証拠に限られている。直接の物証を欠いたまま仮説を組み立てざるをえないという制約は、この分野につきまとう宿命である。

起源をめぐる対立する仮説

言語がどう生まれたかについては、今なお決着のつかない複数の仮説が並び立つ。身振り手振りによるコミュニケーションが徐々に発声表現へ移行したとする身振り起源説は、道具使用や模倣といった他の霊長類とも共有される能力からの連続性を重視する。対照的にノーム・チョムスキーは、統語の核をなす併合・再帰の仕組みは、コミュニケーションへの適応として緩やかに磨かれたものというより、比較的短期間の脳の再編成にともなって突然出現した副産物だと考え、段階的な自然選択による説明に懐疑的な立場をとる。この対立は、言語を自然選択が形作った適応形質とみるスティーブン・ピンカーらの立場と、チョムスキーの非適応論との間の長年の論争として知られる。一方、人類学者テレンス・ディーコンは主著『The Symbolic Species』(1997)で、象徴的な指示表現を扱う言語そのものが脳の発達に選択圧をかけ、遺伝子と文化が並走しながら形を変えていったとする遺伝子文化共進化の立場を示した。

ブラックモアが見た「ミームのための臓器」

ミーム・マシン』でスーザン・ブラックモアは、この論争に独自の角度から切り込む。彼女にとって言語は、意思疎通の手段である以前に、ミームの複製精度と速度を飛躍的に高めた革命的な技術である。身振りや単純な模倣だけに頼る伝達は誤りが蓄積しやすいが、記号と構文を備えた言語を得たことで、ミームははるかに高い忠実度で複製されるようになった。ブラックモアはさらに踏み込み、大きな脳や言語能力をもたらす遺伝子が選択されてきたのは、そうした形質を持つ個体ほど優れたミームの模倣者・伝達者とみなされ、結果的に有利になったからだと論じる。主導したのは遺伝子ではなくミームであり、遺伝子はミームの選択圧に引きずられる形で言語脳を進化させた、という因果の逆転した構図である。この視点は、言語によって他者の振る舞いが噂話を通じて可視化され、直接の見返りを前提としない互恵的利他主義的な協力が成り立ちやすくなった、という論点にもつながっている。

なぜ言語進化を問い続けるのか

言語の起源を問うことは、ヒトという種を他の動物から分かつ境界線がどこにあるのかを問うことに等しい。それは伝達手段の発達史であるだけでなく、自然選択が及ぶ範囲、文化と遺伝子の力学、そして「複製されるもの」としてのミームという概念そのものの射程を試す試金石でもある。決定的な化石も再現実験も存在しない以上、この問いはこれからも仮説の更新を繰り返しながら開かれ続けるだろう。その開かれたままの状態こそが、言語という現象がいかに深く人間存在の根幹に食い込んでいるかを物語っている。

この概念を扱う本

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この概念を扱う本(1冊)

ミーム・マシン
ミーム・マシン

スーザン・ブラックモア

78%

ブラックモアは言語をミームの伝達効率を劇的に高めた革命的イノベーションとして位置づけ、言語能力の遺伝子的基盤がミームの選択圧によって形成されたと論じる。言語と利他行動の共進化も検討される。