遺伝子とミームの共進化
CONCEPT → BOOK
この概念を本でたどる
『ミーム・マシン』で「遺伝子とミームの共進化」を読む
スーザン・ブラックモア
ブラックモアは脳の大型化をミームの感染に適した「ミームマシン」になるための遺伝子選択の結果として解釈する。ミームが遺伝子の利益に反して拡散する事例(避妊・禁欲など)もこの枠組みで論じられる。
この本とのつながりを見る遺伝子とミームの共進化とは、生物学的な遺伝子と文化的な情報単位(ミーム)が互いに選択圧を及ぼし合いながら進化していく過程を指す概念である。ミームの伝達に有利な性質を持つ個体の遺伝子が選択される一方、宿主となる遺伝子の生存・繁殖に資するミームが優先的に拡散する。この双方向の相互作用が、ヒトの脳の大型化や言語・社会構造の形成を説明しうる枠組みとして注目されてきた。この発想の土台には、ミームという言葉が生まれる以前から存在した「遺伝子-文化共進化」という、より広く実証的な研究分野がある。
「ミーム」以前からあった共進化研究
ミームという語が広まる以前、1980年代初頭にはすでに遺伝子と文化を一体の進化系として捉える研究が始まっていた。集団遺伝学者ルカ・カヴァリ=スフォルツァとマーカス・フェルドマンは1981年、文化的形質の伝達を遺伝と同じ数理モデルで扱う手法を提示し、同じ年にチャールズ・ラムズデンとエドワード・O・ウィルソンが「遺伝子-文化共進化」という言葉そのものを提唱した。1985年にはロバート・ボイドとピーター・リチャーソンが「二重相続理論」として、遺伝と文化を並行する二つの継承システムとして定式化している。これらは今日でも文化進化論の基礎理論として通用する、実証的な研究の系譜である。
乳糖耐性という最有力の証拠
遺伝子-文化共進化のもっとも説得力ある実例として研究者が繰り返し挙げるのが、乳糖耐性の進化である。人類の祖先は本来、離乳後にラクターゼ(乳糖分解酵素)の生成を止める。ところが牧畜・酪農という文化を獲得した集団では、成人後もラクターゼ活性を保つ遺伝子変異が強い選択圧を受けて広まった。北欧系集団やアフリカの牧畜民など、酪農文化を独立に発展させた複数の地域でそれぞれ異なる遺伝子変異が同様に選択されていることが分かっており、文化的な生業形態が遺伝子頻度そのものを塗り替えた典型例として、ヒトゲノムで確認された自然選択の中でも特に確度の高い事例とされる。
ミーム概念とブラックモアの飛躍
「ミーム」という語は1976年、リチャード・ドーキンスが利己的な遺伝子で遺伝子と並ぶもう一つの複製子として提示したことに始まる。1999年にミーム・マシンを著したスーザン・ブラックモアは、この発想をさらに推し進め、ミームを模倣によって伝播する自律的な複製子として扱い、宿主である脳の性質そのものをミーム側から説明しようと試みた。代表的なのが、ヒトの脳が急速に大型化した背景を「よりよいミーム媒体になるための遺伝子選択」の結果とみる仮説である。これは学界の合意を得た定説ではなくブラックモア自身の踏み込んだ解釈だが、禁欲や避妊のように当人の遺伝的利益にはむしろ反しながら文化的には広く拡散する現象を、ミームという独立した複製子の視点から一貫して説明できる点に理論的な魅力がある。
情報過多の時代に問い直される視点
遺伝子は世代単位でしか変化しないのに対し、ミームは一生のうちに何度も乗り換えられるほど速く変異・拡散する。この速度差ゆえに、現代のように情報とアイデアが瞬時に世界を駆け巡る環境では、文化的な複製子が遺伝的な利益から乖離して独自の論理で広がる場面がますます目につきやすい。少子化を後押しする価値観や、健康や生存に必ずしも資さない情報が爆発的に拡散する現象は、遺伝子とミームの共進化という枠組みを通してみると、単なる社会的逸脱ではなく複製子どうしのせめぎ合いとして捉え直せる。ヒトという種を「遺伝子の乗り物」であると同時に「ミームの乗り物」でもあると見るこの視点は、生物進化と文化進化を切り離さずに人間を理解しようとする試みとして、今なお有効な問いを投げかけ続けている。
この概念を扱う本
概念ネットワーク
線の太さは共通する本の数を表しています。ノードをクリックすると概念ページに移動します。
この概念を扱う本(1冊)
スーザン・ブラックモア
ブラックモアは脳の大型化をミームの感染に適した「ミームマシン」になるための遺伝子選択の結果として解釈する。ミームが遺伝子の利益に反して拡散する事例(避妊・禁欲など)もこの枠組みで論じられる。