利他行動と協力の進化
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この概念を本でたどる
『ミーム・マシン』で「利他行動と協力の進化」を読む
スーザン・ブラックモア
ブラックモアはミームの伝達が社会的協力を促進する仕組みを論じ、利他行動をミームの感染戦略の側面から再解釈する。ミームと遺伝子が利他行動をめぐって対立・協調する構造が提示される。
この本とのつながりを見る自己犠牲的に見える利他行動は、なぜ自然選択によって淘汰されず、進化の歴史を通じて維持されてきたのか。「自らの適応度を高めた個体が生き残る」という自然選択の論理からすれば、他者のためにコストを払う行動は本来不利なはずである。この矛盾に対し、血縁淘汰・互恵的利他主義・群淘汰という生物学の理論が競合しながら答えを積み重ねてきた。さらにスーザン・ブラックモアのミーム理論は、遺伝子だけでなく文化そのものが協力を後押しする経路を示す。
ダーウィンの困惑と血縁淘汰
チャールズ・ダーウィンは『種の起源』で、自ら子を残さず集団に奉仕する働きバチのような社会性昆虫の存在を、自説にとって一見致命的とも思える難問として取り上げていた。この謎に理論的な決着をつけたのが、1964年に英国の進化生物学者W・D・ハミルトンが示した血縁淘汰と包括適応度の理論である。個体の適応度を自身の繁殖成功だけでなく血縁者を介して伝わる遺伝子のコピーまで含めて評価すれば、血縁度・利益・コストの関係(ハミルトン則)を満たす限り、自己犠牲的に見える行動も遺伝子の視点では合理的になりうる。この遺伝子中心の見方は、後にリチャード・ドーキンスが『利己的な遺伝子』で一般に広めたことでも知られる。
血縁を超えて — 互恵的利他主義としっぺ返し
だが協力は血縁者だけに向けられるわけではない。1971年、ロバート・トリヴァースは血縁関係のない個体間でも、将来の返礼が見込めるなら利他行動が進化しうるとする互恵的利他主義を提唱した。この考えは1980年代初頭、ロバート・アクセルロッドが行った繰り返し囚人のジレンマのコンピュータ大会でも裏付けられている。優勝したのは、まず協力し、その後は相手の直前の出方をそのまま返すだけの単純な「しっぺ返し」戦略で、これが進化的に安定な戦略として長期的な協力を支えうることが示された。
もう一つの説明 — 群淘汰という論争
これらと並行して、自然選択が個体でなく集団単位でも働くとする群淘汰の理論も利他行動の説明として提案されてきた。血縁淘汰や互恵的利他主義が個体・遺伝子の視点から協力を説明するのに対し、群淘汰は集団間の淘汰という異なる階層を持ち込む点で立場を異にする。その妥当性をめぐる論争の経緯は詳しく触れないが、今日の多層選択理論は他の説明と排他的でなく、補完的な視点として位置づけ直されている。
ミームという第四の経路
スーザン・ブラックモアは『ミーム・マシン』で、ドーキンスが提起した文化的な複製子であるミームという視点からこの問題に切り込む。彼女の議論では、利他的にふるまう人物は好意的に模倣される対象となりやすく、その結果「親切であれ」というミーム自体が広まりやすい。評判を介したこの選択圧は血縁関係にも繰り返しの相互作用にも依存しないため、遺伝子の理屈だけでは説明しきれない、見知らぬ他者への一回限りの親切さえも後押ししうる。さらに道徳律や宗教のような複合ミームは、時に遺伝子の利益に反してまで個体に自己犠牲を促すことがあり、ここに遺伝子とミームが利他行動をめぐって対立し、また協調する構造が浮かび上がる。
なぜ今、利他行動の進化が問われるのか
血縁淘汰・互恵的利他主義・群淘汰・ミーム理論は、それぞれ異なる時間スケールと単位で協力の起源を説明する層をなしている。SNSでの評判形成やオンラインコミュニティでの協力など、血縁も直接の面識もない相手との協力が日常化した現代社会は、まさにブラックモアが指摘した評判とミームによる協力メカニズムが遺伝子の論理を追い越して駆動する場面だといえる。利他行動の進化を問うことは、ヒトがなぜ見知らぬ他者とも協力できる稀有な種になったのかという、今なお開かれた問いに直結している。
この概念を扱う本
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スーザン・ブラックモア
ブラックモアはミームの伝達が社会的協力を促進する仕組みを論じ、利他行動をミームの感染戦略の側面から再解釈する。ミームと遺伝子が利他行動をめぐって対立・協調する構造が提示される。