ナショナリズム
ナショナリズムを正確に定義するのは意外に難しい。人種主義のように特定の生物学的特徴を根拠にするわけでもなく、宗教のように教義と聖典を持つわけでもなく、自由主義のように体系的な政治哲学を展開するわけでもない。にもかかわらず、それは20世紀を動かした最も強力な感情の一つだった。
宗教でも人種主義でもなく
アーネスト・ゲルナーはナショナリズムを工業化の産物として説明した。均質な労働力と共通の識字能力を必要とする工業社会が国民文化を必要とし、そのための教育機関としての国民国家を生み出すというのがゲルナーの議論だ。ナショナリズムは機能的必然性を持つ。
エリック・ホブズボウムは「伝統の創出」という概念でナショナリズムを批判的に読んだ。国民の「古来の伝統」と見なされているものの多くは19世紀後半に意図的に発明されたものだという主張は、ナショナリズムの歴史的主張を根底から問い直す。スコットランドのタータン・チェック、イギリスの王室儀礼——それらは古代からの連続ではなく、近代の発明だった。
コミュニタリアニズムとの対話も欠かせない。共同体への帰属を個人的権利に優先させるコミュニタリアンの議論はナショナリズムと親和性を持つが、どの共同体に帰属すべきかという問いに答えるのはコミュニタリアニズムではなくナショナリズムだった。共同体の重要性を認める哲学が、どの共同体かを選ぶ基準を持たない——その空所にナショナリズムが入り込んだ。
文化的人工物という位置づけ
アンダーソンがナショナリズム研究に持ち込んだ最も重要な転換は、ナショナリズムを「イデオロギー」ではなく「文化的人工物」として分類し直したことだ。イデオロギーは意識的に信奉するものだが、ナショナリズムへの帰属感情は呼吸のように自明で、問い直さないものとして体験される。それは「親族」や「宗教」に近い感情的様式を持つ。
イデオロギー分析の枠では捉えにくいのはそこだ。マルクス主義的なイデオロギー批判は、支配階級の利益を覆い隠す虚偽意識としてナショナリズムを分析しようとする。だがアンダーソンが指摘するように、労働者階級の兵士が「ブルジョア国民国家のために」命を捧げる現実は、経済的利害の計算では説明しにくい。ナショナリズムは合理的選択ではなく、情緒的な真実性を持つ。
正体不明の親密さを解剖する
ナショナリズムの謎は、見知らぬ者への親密さだ。同じ国籍を持つ相手は、異国籍の近隣住民よりも「近い」と感じられることがある。なぜ会ったこともない数百万人の「同胞」に感情的連帯を感じるのか——この問いへのアンダーソンの答えが「想像の共同体」だった。
帝国主義とポストコロニアリズムの交差点においても、ナショナリズムは単純には片付かない。反植民地ナショナリズムは宗主国の支配に抵抗する解放の論理として機能したが、独立後の国家では少数民族を抑圧する新しい支配の論理にもなりえた。ナショナリズムは常に双面性を持つ——誰かを「われわれ」に包摂する論理は、同時に誰かを「彼ら」として排除する。
国民という想像の共同体は「偽造物」ではない。その想像は人々の感情と行動に極めて現実的な力を持つ。しかしその現実性が、どのような歴史的条件のもとで、どのようなメカニズムで作られたかを問い続けることは、ナショナリズムの過熱が引き起こす惨禍を前にすれば、今日もまだ必要な問いである。
この概念を扱う本
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この概念を扱う本(1冊)
ベネディクト・アンダーソン
アンダーソンはナショナリズムを人種主義や宗教のような固定したイデオロギーではなく、「親族」や「宗教」に近い文化的な人工物(アーティファクト)として分類し直し、その出現の歴史的条件を解明しようとする。