クレオール・ナショナリズム
1776年から1825年の50年間で、スペイン領アメリカの大半が独立した。この独立運動の担い手は先住民でもなく、本国から派遣されたスペイン人でもなく、アメリカ大陸で生まれたスペイン系移民の子孫——クレオール層だった。彼らが抱えたのは、奇妙な矛盾だった。
最初のナショナリストたちの逆説
クレオール(creole)という語は本来、ヨーロッパ人を先祖に持ちながら新世界で生まれた者を指す。スペイン語・ポルトガル語・宗教・法律——文化的にはほぼ完全にヨーロッパ人でありながら、彼らは「出生地」という理由で本国生まれのスペイン人(ペニンスラール)より低い地位に置かれていた。植民地の高位官職はペニンスラールが占め、クレオールがいくら有能であっても昇進には限界があった。
この差別の論理は奇妙だった。同じ言語を話し、同じ宗教を信じ、同じ法体系のもとで育った者が、単に「どこで生まれたか」によって区別される。生物学的な差異でも文化的な差異でもなく、地理的偶然が身分を決定する——この不条理がクレオール・エリートに「われわれは何者か」という問いを突きつけた。
脱領土化の概念で言えば、クレオールはヨーロッパの文化から「脱領土化」された存在だった。ヨーロッパの文化を担いながら、ヨーロッパに帰属することを拒絶されている——その宙吊り状態が、新たな領土的アイデンティティを必要とさせた。
行政単位が共同体になるとき
クレオール・ナショナリズムの生成メカニズムをアンダーソンは鋭く解析する。植民地行政の経路——アンダーソンが「行政的巡礼」と呼ぶもの——が、意図せず「ニュースペイン」や「ペルー」や「ベネズエラ」を意味ある共同体として想像させた。メキシコ市の役人はリマに行かず、ハバナに行かず、マドリードに行く。その移動の構造が、植民地の行政単位に「それ自体として意味を持つ共同体」という輪郭を与えた。
印刷物の役割も決定的だった。植民地には地域紙があり、それぞれの行政単位内で流通していた。メキシコ市の新聞はリマには届かない。その地域的な情報圏が、「われわれ」の範囲を行政単位に一致させた。同じ新聞を読む読者の共同体と、行政的に管轄される領域が重なるとき、それが想像の共同体の輪郭になる。
正統性なき先駆者が残したもの
クレオール・ナショナリズムの逆説的な遺産は、後継の独立運動が継承した問いにある。クレオールが作った「メキシコ国民」「ペルー国民」という枠は、クレオール自身の言語と文化で定義されていた。先住民は独立後も、この枠組みの中で「国民」として統合されるか周縁化されるかという問題に置かれた。
ホブズボウムが「伝統の創出」で論じたように、独立後の国々は「古来の先住民の遺産」を「国民の起源」として積極的に発明した。アステカやインカの文明が国民的シンボルとして称揚される一方、生きている先住民は「近代化すべき存在」として扱われた。過去の先住民は称揚し、現在の先住民は周縁化する——この矛盾は、クレオール・ナショナリズムが作った枠組みの構造的問題として今日も続く。
アンダーソンの洞察が今日も有効なのは、クレオール・ナショナリズムが示す「制度と想像の相互作用」という普遍的なメカニズムだ。想像の共同体が描くように、ナショナリズムは固有の文化的本質から自然発生するのではなく、行政的・商業的な構造が先にあり、その構造の輪郭を「われわれ」の境界として想像する実践から生まれる。
想像の共同体が描くクレオールの困難は、現代の「第三文化の子ども(Third Culture Kids)」の経験とも共鳴する。複数の文化圏の間に生まれ育ち、どこにも完全には属せない者が新しいアイデンティティの枠組みを作る——その創造的な宙吊り状態こそが、既存の共同体の境界を問い直す力の源泉になりうる。
この概念を扱う本
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この概念を扱う本(1冊)
ベネディクト・アンダーソン
アンダーソンは、南米諸国の独立を事例にクレオール・ナショナリズムを世界最初期のナショナリズム形態と位置づける。本国への昇進が制限されるクレオール官僚が、行政単位を共同体として想像し始めたと論じる。