公定ナショナリズム
19世紀半ば以降、ヨーロッパの君主たちは新しい脅威に直面していた。民衆の間でナショナリズムの感情が高まり、王朝への忠誠ではなく「民族」への帰属が政治的力を持ちはじめた。ハプスブルク家の皇帝やロマノフ朝のツァーリにとって、民族ナショナリズムは既存の多民族帝国を解体する力だった。彼らの対応は、驚くほど一貫していた——ナショナリズムを抑圧するのではなく、それを利用することだった。
民衆ナショナリズムへの応答としての国家戦略
公定ナショナリズムとは、既存の王朝・帝国が上からナショナリズムを動員・制度化することで権力を維持しようとする戦略である。ロシアでは「正教・専制・国民性」の三位一体が公式イデオロギーとして押し出され、日本では「万世一系」の天皇を頂点とする国体が国民統合の核とされた。英国では「ブリトン性(Britishness)」が多民族帝国を一つの国民として想像する枠組みとして構築された。
帝国主義との関係は密接だ。公定ナショナリズムは国内の民族統合のためだけに機能したわけではない。帝国が多民族を支配する正当性を「より大きな文明の使命」として提示するとき、その国民的文明の優越性という物語が不可欠だった。英国民としての誇りは帝国支配の感情的基盤であり、大英帝国の覇権はブリトン性の権威を強化した。
収奪的制度の概念で見れば、公定ナショナリズムは既存支配層が権力を温存するための制度的装置とも読める。アセモグルとロビンソンが論じるように、包摂的制度と収奪的制度の分岐は政治的選択の問題だが、公定ナショナリズムはしばしば民衆的エネルギーを包摂する外見を持ちながら、実質的には既存の収奪的ヒエラルキーを温存する装置として機能した。
上から作られた「伝統」の輸出
アンダーソンの分析で重要なのは、公定ナショナリズムが「モデルとして世界に輸出された」という指摘だ。ヨーロッパの公定ナショナリズムは植民地統治のテンプレートになった。植民地では、宗主国の国民教育モデル——学校制度、国語教育、国民史の叙述——が移植された。その構造が後に反植民地ナショナリズムの基盤になるという逆説は、アンダーソンが「最後の波」で詳述する。
帝国と国民国家は対立的に見えて共犯的でもあった。帝国は多民族を一つの政治単位として統合しようとし、国民国家は単一民族の自決を原理とする——この緊張関係のなかで、公定ナショナリズムは帝国が国民国家の言語を借用することで帝国を延命しようとする試みだった。
民主化とナショナリズムの共存問題
公定ナショナリズムの遺産は現代政治にも続く。民主主義と強いナショナリズムは必ずしも相容れない。民主主義が「全ての国民の平等な代表」を要求するとき、強いナショナリズムは「真の国民」を特定の民族・言語・宗教に限定しようとする圧力を生む。
リベラリズムとの緊張は特にここに現れる。リベラリズムが個人の自由と権利の普遍性を主張するとき、ナショナリズムが引く「われわれ」の境界は普遍的権利の適用範囲を限定する論理として機能しうる。上から設計された公定ナショナリズムは、その境界を誰が引くかを国家が決定する権威を確保しようとする——それは民主的正統性とは本質的に緊張する要素を含んでいる。
想像の共同体が公定ナショナリズムに向ける視線は批判的だ。民衆的ナショナリズムが持つ自然発生的なエネルギーを国家が上から整流し制度化するとき、その想像の共同体は権力維持の道具になる可能性がある。アンダーソンの問いは今日も有効だ——誰が「国民」の物語を語り、誰が語ることを排除されるか。
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この概念を扱う本(1冊)
ベネディクト・アンダーソン
アンダーソンはヨーロッパの王朝国家が民衆ナショナリズムの脅威に直面し、「公定ナショナリズム」によって国民統合を図ったと論じ、これが後に植民地支配のモデルとして世界に輸出されたと分析する。