知脈

印刷資本主義

print capitalism活版印刷と資本主義

グーテンベルクの活版印刷が登場した1440年代から、ほぼ一世紀のうちに西ヨーロッパの印刷業者たちは新しい現実に直面することになった。ラテン語の書物だけでは市場が飽和する。もっと広い読者層を開拓するには、庶民が日常的に話す俗語で本を刷るしかない。その商業的判断が、図らずも歴史を変えた。

メディアが資本主義と結びついたとき

印刷資本主義とは、グーテンベルク以降の活版印刷技術と資本主義的出版市場の結合のことである。注目すべきは、これが思想的革命ではなく、まず経済的な仕掛けだったという点だ。印刷業者にとって俗語出版は利益の問題であり、言語の政治的意味を意図したわけではなかった。しかし結果として、特定の俗語で印刷された書物は広域に流通し、標準化された言語を読む見知らぬ者同士を結びつけた。

複製技術と芸術との比較は示唆的だ。ヴァルター・ベンヤミンが複製技術の登場で芸術の「アウラ」が失われると論じたのに対して、印刷資本主義はむしろ新しい種類のアウラ——国民的アイデンティティという磁場——を生み出したとも言える。複製が固有性を溶かす一方で、同一テキストの同時的な読書体験は別種の共同性を醸成する。

資本主義の論理は言語を商品として選別する。方言のうち、最大の読者市場を確保できるものが標準語として「選ばれる」。この選択は文化的な必然性でも言語的な優劣でもなく、市場の論理に従う。印刷業者の商業判断が国民語の境界線を引いたという逆説は、近代のナショナリズムが純粋な文化運動ではないことを示している。

言語を標準化する力学

印刷資本主義の効果を最もよく理解するには、何が起きなかったかを見るとよい。各地に無数に存在した方言のほとんどは、印刷物の世界に入れなかった。印刷業者が一つの市場単位として選んだ言語形式だけが活字となり、繰り返し目にされ、学校教育や行政に採用され、「正しい言葉」として定着していく。

文化産業の観点からすれば、これは意識の均質化プロセスとも読める。アドルノとホルクハイマーが映画・ラジオを通じた文化の標準化を批判したように、印刷メディアもまた読者の言語感覚を特定の型に整形した。だが印刷資本主義の場合、その標準化は国民としての連帯感情を生む基盤にもなった点で、単純な「操作」モデルには収まらない複雑さを持つ。

禁欲的プロテスタンティズムの役割も無視できない。マックス・ウェーバーが指摘した宗教改革と印刷技術の親和性——聖書の俗語翻訳と大量普及——は、印刷資本主義が宗教的動機とも深く絡み合っていたことを示す。ルターの95ヶ条の論題は、印刷技術なしには大陸規模の運動になりえなかった。

見知らぬ者たちの共同体

印刷資本主義が最も深く刻んだのは、共同体感覚の変容である。前近代において、人は顔を知る仲間とのみ共同体を形成できた。印刷物は初めて、顔を合わせない他者との連帯を可能にした。同じ新聞を同じ朝に読むという行為が、互いを知らない読者たちに「自分たちは同じ時代の同じ社会に属している」という感覚を与える。

マーシャル・マクルーハンはメディアそのものがメッセージであると言った。印刷という技術が作り出した均一な活字空間は、それ自体として国民的思考の様式を生み出したとも解釈できる。再生産論の視点から見れば、印刷資本主義は経済的な生産様式であると同時に、国民的アイデンティティを再生産する文化的装置でもあった。

テレビ・インターネットの時代にも、この問いは形を変えて続く。SNSアルゴリズムが作る「フィルターバブル」は印刷資本主義とは逆に、共有される文脈を断片化させる。見知らぬ者との連帯の基盤が何によって作られるかという問いは、メディア技術が変わるたびに新しい答えを要求する。

この概念を扱う本

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この概念を扱う本(1冊)

想像の共同体
想像の共同体

ベネディクト・アンダーソン

95%

アンダーソンはナショナリズムの物質的条件として印刷資本主義を重視し、新聞や小説という印刷メディアが、同じ言語を読む不特定多数の人々に「同時性」の感覚をもたらしたと論じる。