経済人類学
経済を理解するためのアプローチは二つある。一つは「形式主義」——希少な資源をめぐる合理的選択という普遍的な論理で経済を説明する方法。もう一つは「実体主義」——経済活動をその社会的・文化的・歴史的文脈の中で実体的に理解する方法。ポランニーは後者の旗手として、前者が前提とする「経済的人間(ホモ・エコノミクス)」という仮定に根本的な疑問を投げかけた。
形式主義 vs 実体主義:論争の地図
形式主義は、経済学の標準的な前提から出発する。人間はどの社会でも、希少な資源を合理的に配分しようとする。この前提のもとでは、市場経済の論理は普遍的な人間本性の表現となり、他の文化の経済はその「未発達」形態として位置づけられる。実体主義は、この前提を歴史と人類学の証拠で問い直す。互酬性・再分配・家政という三原理を分析したポランニーは、市場的論理が普遍的でないことを示した。1950年代から1960年代の「サブスタンティビスト論争」は、この対立を人類学の中心問題として顕在化させた。自由放任主義の前提する人間像——常に最大化を求める合理的個人——は、形式主義の文化的産物だとポランニーは見る。この「文化的産物」が普遍的な科学として提示されるとき、何かが隠蔽されている。形式主義と実体主義の対立は、今日の行動経済学・制度経済学の議論にも反響している。
フィールドが示した経済の多様性
マーシャル・サーリンズは『石器時代の経済学』(1972年)で、現存する狩猟採集民が「豊かな社会」を生きていることを示した。欲望が生産を常に超えるという近代経済学の前提——希少性——は、普遍的な事実ではなく、市場社会固有の社会的構築だというのがサーリンズの主張だ。クロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』が記録した多様な文化の経済的営みは、「市場なしの経済」が人類史の大部分を占めることを人類学的な厚みで示している。プロスペクト理論(カーネマン&トヴェルスキー)が明らかにした人間の選択の歪みは、形式主義的「合理性」への行動経済学からの批判だが、経済人類学はより根底からその枠組み自体を問い直す。フィールドが示した経済の多様性は、「経済」という概念そのものを再考する契機を与える。
経済学の「外」から問い直す
経済人類学の知見は、主流経済学の自己理解を相対化する。ポランニーは「経済学的誤謬」と呼ぶ——市場経済の論理を、人間の経済行動一般に適用することの誤り。経済を人間の生活全体から切り離して自律的な領域として扱うことの問題を、ポランニーは歴史と人類学の両方から告発した。自由市場主義が自明視する前提——市場が効率的で自然な秩序だという信念——は、経済人類学の視点から見れば、特定の歴史的形態の内側でのみ自明に見える局所的な真理にすぎない。デヴィッド・グレーバーが指摘したように、価値の多元性——何が「価値ある」かは文化によって異なる——を認識することが、経済人類学の根本的な貢献だ。期待効用理論が前提とする合理的選択のモデルと、経済人類学が記録する実際の経済行動の多様性の間には、埋めがたいギャップがある。経済人類学はその問いを、制度設計の問いとして現代に引き渡している。
経済人類学は、経済学の「常識」に根拠を問い続ける学問として、今日も現役だ。「経済とは何か」を問うことなしに、「どのような経済をめざすか」という問いには答えられない——経済人類学はその問いを手放さない。
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