自由放任主義
政府は市場に介入すべきではない——この主張は「自由放任主義」という言葉で要約される。語源はフランス語の「laissez-faire」(させておけ)だ。重商主義や国家規制に対する批判として18世紀に登場し、19〜20世紀の経済思想を二分する論争の核心になった。自由放任主義は単純な経済論ではなく、自由・権力・国家の役割についての政治哲学だ。
スミスを超えた「スミス解釈」
国富論でスミスは重商主義と独占への批判として自由市場を擁護した。しかし純粋な自由放任論者としてのスミスは、後代の解釈が作り出したものだ。スミスは政府の役割として、国防・司法・公共事業・教育を認め、貧しい子どもへの公教育まで論じていた。「見えない手に任せれば万事うまくいく」という19世紀マンチェスター学派の主張は、スミスの議論を選択的に強調したものだ。見えざる手の概念が独り歩きした結果、スミスは本人が意図した以上に自由放任の原理主義者として描かれた。
自由放任主義の黄金期と批判
19世紀半ばのイギリスは自由放任主義の実験場だった。コブデンとブライトによる穀物法廃止(1846年)、自由貿易の拡大——市場の自律的な調整を信頼する政策が支配した。しかし同時期にアイルランドの大飢饉(1845-52年)が起き、政府の不介入が大量死を招いたとの批判が生まれた。自由放任主義の最大の論敵はケインズだ。「市場は長期的に均衡する」という自由放任論に対してケインズは「長期的には我々は皆死んでいる」と答えた。大恐慌(1929-)は市場の自律的回復能力への信頼を揺さぶった。
現代への展開
20世紀後半に自由放任的政策は「新自由主義」として復活した。ハイエクのF.A.ハイエクは「計画経済は知識問題(分散した知識を中央機関は持ちえない)から失敗する」と論じた。フリードマンは政府規制よりも市場競争を推奨した。1980年代のサッチャー・レーガン政策はこれを実践した。しかし2008年の金融危機は「市場は自律的に均衡する」という信念を再び揺さぶった。労働価値説の批判者も自由放任主義の支持者も、市場がどのように機能するか(または失敗するか)という問いに向き合っている。
自由放任主義の現代的意味:リバタリアニズムと福祉国家
自由放任主義(レッセフェール)の思想は20世紀を通じて変奏され続けた。1970〜80年代のサッチャー・レーガン時代の新自由主義は、市場への規制緩和・民営化・福祉国家の縮小を主軸とし、自由放任主義の現代的版として機能した。一方でミルトン・フリードマンら経済学者は、政府介入が市場の自律的調整を阻害するという実証的・理論的議論を展開した。この思想は「小さな政府」を標榜する保守政治と結びつきながら、グローバル化した世界経済の設計原理として大きな影響を与えた。
しかし無規制の市場が持つ問題——格差の拡大、環境破壊、独占の形成、金融の不安定性——は、純粋な自由放任主義への批判の根拠となった。2008年の金融危機は、金融市場の過度の自由化が全体経済に壊滅的な影響を与えるリスクを示した。現在の先進国では、完全な自由放任主義でも完全な計画経済でもない「混合経済」が標準的なモデルとなっており、市場と政府介入のバランスをどこに置くかが政治的・経済的論争の中心だ。
自由放任主義は見えざる手の政治的・政策的表現として機能してきた。比較優位の論理は自由貿易の擁護に自由放任主義的な推進力を与える。自然利子率の概念は、金融政策への政府介入をどの程度認めるかという自由放任主義的問いと関わっている。
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