知脈

期待効用理論

expected utility theoryフォン・ノイマン=モルゲンシュテルン効用

選択を公理から導く

不確実な状況でどう選ぶか——この問いに数学的な答えを与えようとしたのが期待効用理論だ。その骨格はシンプルだ。各結果に効用値(utility)を割り当て、それぞれの確率で重みをつけた期待値を計算し、その期待値が最大になる選択肢を選ぶ。直感的には「良い結果が起きやすく、悪い結果が起きにくい選択肢を選ぶ」という話だが、これを数学的に厳密化することで、「合理的な意思決定とは何か」を公理の集合から導出できるようになった。感情・直観・社会的影響から独立した、純粋な合理性の数学化——それがこの理論の野心だった。

フォン・ノイマンの公理化

期待効用理論を現代的な形で確立したのは、ジョン・フォン・ノイマンとオスカル・モルゲンシュテルンだ。ゲームの理論と経済行動(1944年)で彼らが行ったのは、合理的な選好が満たすべき公理(完備性・推移性・独立性・連続性)を明示し、これらを満たす選好は必ず期待効用最大化として表現できることを証明することだった。「効用」という漠然とした概念を、公理系から派生する構成物として位置づけた点が革新だ。道具的理性の数学的定式化として、経済学・ゲーム理論・意思決定理論の共通基盤となった。選好の「強さ」を確率くじとの比較から数値化するという方法は、心理学的な測定とは独立した客観性を与えようとするものだった。

プロスペクト理論からの異議

期待効用理論は半世紀以上にわたって合理的意思決定の規範理論として君臨したが、実験経済学の発展によって重大な反例が蓄積された。ダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーが1979年に提唱したプロスペクト理論は、人間の実際の選択が期待効用理論から系統的にずれることを示した。損失回避性(同額の利得より損失が心理的に大きく感じられる)・参照点依存性(得か損かは絶対値ではなく基準点からの変化で決まる)・確率の非線形変換(小さな確率を過大評価し中程度の確率を過小評価する)——これらは規範的な理論への記述的な反証だ。理論が描く「合理的な人間」と、実験室で観察される人間は別の生き物だった。

功利主義との系譜と乖離

期待効用理論は功利主義の効用概念を数学化したように見えるが、関係は複雑だ。功利主義のベンサム的伝統は快楽と苦痛の計算という直接的な記述の側面を持つ。だが期待効用理論の効用は選好の一貫性から導出される構成概念であり、主観的な幸福感と一致する必要はない。「自分の嗜好を一貫して実現する」ことが「善く生きること」と同じかどうかは哲学的に別問題だ。希少性の原理のように選択には必ずトレードオフが伴う——どのトレードオフを引き受けるかを決める理論的枠組みとして、期待効用理論は今も経済学の中心にある。その限界を明確にしたプロスペクト理論との対話が、意思決定理論を豊かにしてきた。

期待効用理論は「合理的な人間」という規範的モデルを提供したが、そのモデルが記述的に不正確であることが明らかになるにつれ、「合理性とは何か」という問いが新たな深みを持つようになった。完全に一貫した選好を持つ合理的な人間は、理想的なモデルとして有用である一方、現実の人間の意思決定を理解するための出発点としては不十分だ。規範理論と記述理論の緊張が、行動経済学という新しい分野を生み出した。

この概念を扱う本

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この概念を扱う本(1冊)

ゲームの理論と経済行動
ゲームの理論と経済行動

ジョン・フォン・ノイマン, オスカル・モルゲンシュテルン

85%

第3章でゲーム理論の数学的基盤として構築される。主観的な「選好」を数値化し、不確実な戦略的状況における合理的行動を定義するために必要な道具として展開される。