r>g(資本収益率>成長率)
r>g(資本収益率が経済成長率を上回る)は、トマ・ピケティが『21世紀の資本』(2013年)の核心として示した不平等の動学的メカニズムだ。この一つの不等式が、なぜ資本主義社会では格差が自然に拡大するのかを説明する。
問題の所在:なぜ格差は縮まらないのか
20世紀中盤の高度成長期、先進国の格差は縮小した。これは多くの経済学者に「成長とともに格差は縮まる」という楽観論(クズネッツ曲線)を支持する証拠として映った。しかしピケティは300年以上のデータを集め、この楽観論を覆した。20世紀中盤の格差縮小は、二度の世界大戦・大恐慌・強力な再分配政策という「特殊条件」による一時的現象だったのだ。
r>gの構造的論理
ピケティの論理はシンプルだ。資本収益率(r)は歴史的に年率4〜5%程度で推移している。経済成長率(g)が高ければ(戦後の3〜4%)、両者の差は小さく格差は比較的安定する。しかし成長が鈍化すると(現代の先進国では1〜1.5%)、rとgの差は大きくなる。
差が大きいほど何が起きるか。資本を持つ人の資産は年率r(4〜5%)で成長する。一方、賃金は経済全体と同程度g(1〜1.5%)でしか成長しない。数十年後、資産家の富は労働者との差を指数関数的に広げる。複利の力が不平等を加速する。
歴史データが示すパターン
ピケティは英仏米その他20カ国以上の税務・遺産記録データを精緻に分析した。資本/所得比(ベータ値)の歴史的推移を見ると、20世紀の戦争・危機で一度急落した後、1980年代以降急速に回復していることが示される。
上位1%・10%の所得・資産シェアも同様のU字型を描く。19世紀末には資産の上位10%が全体の85〜90%を保有していた。20世紀の「例外的な平等化」を経て、再び集中が進んでいる。21世紀の資本主義は「ベル・エポック」の世界に戻りつつある——これがピケティの主張だ。
世襲資本主義とクズネッツ曲線との関係
r>gが持続すると世襲資本主義が生まれる。相続によって資産が代から代へと伝わり、能力より出自が経済的地位を決める社会になる。ピケティはこれを19世紀ヨーロッパの状態への回帰として描く。
クズネッツ曲線の楽観論——成長すれば格差は自動的に縮まる——はr>g分析によって否定される。ピケティにとって格差縮小は自動的なものではなく、政治的意思と累進資本税のような制度的介入によってのみ実現する。
批判と議論
r>gへの経済学的批判は多い。資本の定義が広すぎる(住宅資産を含む)という批判、資本収益率の測定方法への疑問、rとgのどちらに因果があるかの議論などがある。また、格差が拡大しているとしても、それが「問題」かどうかは価値判断の問題だという立場もある。
しかし、ピケティが提供した長期データと問いの枠組みは、経済学と社会の議論を根本的に変えた。「格差は縮まる」という楽観論に反証し、「格差は拡大する傾向がある——それを止めるのは政治だ」というメッセージは、21世紀の政治経済学に大きな影響を与え続けている。
r>gの政策的含意
ピケティのr>gから直接導かれる政策的含意は明確だ。資本収益への累進資本税を国際的に導入することで、rをgに近づけるか、資本集中から生まれる税収を再分配に使う。
しかし「国際的な累進資本税」は現実には極めて実現が難しい。資本は国境を越えて移動しやすく、一国だけが課税すれば資本が逃げる。ピケティ自身もこれを「有益なユートピア」と呼んだ。短期的には国内の累進所得税・相続税の強化、金融透明性の向上(タックスヘイブン規制)などが実現可能な代替として論じられる。
r>gという式の単純さは強力なコミュニケーションツールだが、政策は複雑だ。世襲資本主義への対抗は、経済的処方箋だけでなく、能力主義(メリトクラシー)の意味を問い直すという政治哲学的な次元も持つ。
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トマ・ピケティ
ピケティの著作の核心命題。歴史データによって支持され、資本主義の本質的格差拡大傾向を示す。