組織と個人の関係
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この概念を本でたどる
『空気の研究』で「組織と個人の関係」を読む
山本七平
本書では、空気に従うことが「組織の一員として当然の振る舞い」とされ、個人の理性的判断が組織への忠誠に従属させられる構造として描かれる。この関係性が集団的失敗の根本原因として分析される。
この本とのつながりを見る組織と個人の関係とは、個人のアイデンティティ・判断・責任が組織や集団の内部に溶け込み、組織への帰属意識が個人自身の価値判断よりも優先される関係性を指す。この状態に置かれた個人は独立した意思決定主体であることをやめ、組織の意向を伝える媒介者としてふるまうようになる。山本七平は『空気の研究』において、日本の組織で「空気」に従うことがなぜ個人にとって当然の振る舞いとみなされるのかを分析し、この関係性こそが集団的な失敗を生み出す根本の構造だと論じた。
「空気」に従うことは組織人の作法
空気の研究が繰り返し指摘するのは、空気による意思決定が個人の合理的判断を凌駕する場面で、当人がさほど強い抵抗を感じないという事実である。太平洋戦争末期、戦艦大和の沖縄特攻が事実上の必敗作戦であることを現場の将校たちが認識していながら出撃が決まった経緯について、山本は「あの場の空気ではそれ以外の結論はありえなかった」という趣旨の証言を引くとされる。ここで個人の理性は消えたわけではない。合理的に不可能だと判断していながら、組織の一員である以上その判断を口にせず従うことこそ正しい振る舞いだ、という規範が働いたと分析される。山本はこの空気の拘束力の根を、対象がまるでそこに現前するかのように感じ取る臨在感的把握に求めており、空気の支配のもとでは個人の理性は組織への忠誠に従属する副次的な機能へと格下げされる。
輪郭を失う個人と責任の消失
個人が組織の意向の媒介者になるということは、決定の主体が誰なのか特定できなくなることでもある。空気に従って出た結論は特定の誰かが「決めた」ものではなく、その場にいた全員が等しく感じ取ったものとして扱われるため、後から誰の判断だったかを問うこと自体が成立しにくくなる。これは責任の拡散として現れる帰結でもある。数少ない例外はあえて場の空気を破る水を差す行為だが、山本はこれも一時的に「通常性」を思い出させるだけの限定的な効果しか持たないとする。空気に逆らう者への同調圧力は強く、個人が組織から独立した価値判断を主張し続けることは事実上困難だとされる。
集団的失敗の根本原因として
山本がこの関係性を重視するのは、それが日本的意思決定という様式上の特徴に留まらず、組織が誤った方向に進んでも誰も止められない構造そのものを説明すると考えたからである。個人の理性的判断が組織への忠誠より下位に置かれる限り、原則ではなくその場ごとに正しさの基準が移り変わる状況倫理的な振る舞いが常態化し、組織にブレーキをかける歯止めが働きにくくなる。戦時の作戦決定から戦後の企業不祥事に至るまで、山本は同型の構造を繰り返し見出したとされる。
西洋の集団思考論との違い
この関係性は欧米の集団思考論と近接して語られることもあるが、性質は異なるとされる。集団思考が主に意思決定集団内部の認知的バイアス(反対意見の抑圧・楽観の共有)として説明されるのに対し、山本が描く組織と個人の関係は、個人のアイデンティティそのものが組織に融解していく、より存在の水準に近い現象として提示される。個人が組織を道具として利用するのではなく、組織の意向が個人を通じて発現する——この逆転した関係性の指摘こそが、この概念の核にある。
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山本七平
本書では、空気に従うことが「組織の一員として当然の振る舞い」とされ、個人の理性的判断が組織への忠誠に従属させられる構造として描かれる。この関係性が集団的失敗の根本原因として分析される。