臨在感的把握
CONCEPT → BOOK
この概念を本でたどる
『空気の研究』で「臨在感的把握」を読む
山本七平
山本は「空気」の生成メカニズムとしてこの概念を位置づける。特定の対象(例:戦艦大和)が臨在感的把握を受けることで、それを批判すること自体が「空気を乱す」タブーになると論じる。
この本とのつながりを見る臨在感的把握とは、対象を客観的・分析的に認識するのではなく、対象そのものに強烈な感情的・霊的な存在感(臨在感)を帯びたものとして把握する認識のあり方を指す。宗教的・呪術的な思考に由来するとされ、対象を測定・分析可能な「モノ」として切り離して見る分析的な認識とは対照的に、把握する主体と対象とが未分化なまま結びつき、論理よりも感覚が優先される。山本七平は『空気の研究』で、日本の集団的意思決定を支配する「空気」がどのようにして生まれるかを説明する鍵として、この概念を位置づけた。
対象が「モノ」でなくなるとき
山本によれば、通常わたしたちは対象を、大きさ・機能・利害得失といった客観的な属性の集合として捉え、必要に応じて批判や修正を加えることができる。ところが対象が臨在感的に把握されると、事情は一変するとされる。対象はもはや交換可能な一個の物体ではなく、ある種の絶対性・神聖さを帯びた存在となり、その属性を切り離して論じること自体が困難になる。臨在感的把握という語自体、神仏の「臨在」を語る宗教用語に由来するとされ、対象の背後に人知を超えた力が現に働いているという感覚を核にしている。山本はこれを、蛇や偶像に霊的な力を感じ取る原始宗教的な心性の延長線上にあるものと説明し、近代化した社会にも根強く残存していると論じた。
戦艦大和という実例
山本が繰り返し取り上げるのが、太平洋戦争末期に沖縄への特攻出撃を命じられた戦艦大和である。燃料や制空権の欠如という客観的条件からすれば、この作戦の戦術的合理性はきわめて疑わしかったと伝えられる。しかし当時の海軍内部で大和は、たんなる兵器という「モノ」ではなく、海軍の存在意義そのものを体現する臨在的な対象として把握されていたと山本は論じる。そのため、作戦の非合理性を指摘すること自体が、大和という存在の神聖さを汚す行為として忌避されたとされる。戦後になって関係者がこの作戦を振り返る際、合理的な説明ではなく「当時の空気ではそうせざるを得なかった」という言い方が持ち出されたと伝えられるのも、対象がすでに臨在感的にしか語れないものになっていたことの表れだと山本は解釈する。
臨在感的把握から「空気」の支配へ
臨在感的把握が集団内で共有されると、対象への批判はたんなる異論ではなく、一種のタブー侵犯として感受されるようになる。ここに、水を差す行為がなぜ強い反発を招くのかという理由がある。批判は論理への反論としてではなく、聖なるものへの冒涜として受け取られるからだと山本は説明する。この心理構造こそが「空気による意思決定」を生み出す発生装置であり、いったん場を支配すれば同調圧力として個々人を拘束し、空気の支配という状態を作り出すと山本は論じた。
臨在感的把握が問うもの
この概念が示すのは、近代的・合理的な意思決定の建前の下に、対象を分析対象化できない心的態度が潜みうるという事実である。組織が特定のシンボル・前例・肩書き・看板商品を臨在感的に把握するとき、そこに向けられる批判はどれほど正当でも「空気を乱す」ものとして退けられてしまう。臨在感的把握は戦時中の軍隊や特定の時代に限られた病理ではなく、集団が何かを絶対視するときにいつでも立ち現れうる、人間の認識そのものに根ざした構造として読むことができる。
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この概念を扱う本(1冊)
隣の概念から、別の本へ
知脈でいま「臨在感的把握」に結びついているのは『空気の研究』の1冊です。 ただしこの本のなかで隣り合う概念をたどると、別の本へ出られます。