知脈

スノビズム

俗物根性snobismesnobbery

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この概念を本でたどる

動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会』で「スノビズム」を読む

東浩紀

大澤真幸の『虚構の時代』論と接続され、1970〜90年代のオタクの様式的なこだわりを説明する概念として、後半で語られる動物化と対比的に位置づけられる。

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日常語としてのスノビズムと、この本のスノビズム

スノビズムという語は普通、俗物根性を指す。高い威信を持つ他者が良いとするものを良いとし、対象そのものよりも「それを良しとする側の人間に見えること」が動機になっている態度のことだ。ルネ・ジラールの模倣的欲望が示すように、欲望はしばしば他者の欲望の模倣として生まれるから、この意味でのスノビズムはありふれた現象である。

ところが『動物化するポストモダン』で東浩紀が使うスノビズムは、この日常語とかなり違う。出所はアレクサンドル・コジェーヴで、東はその定義をほぼそのまま引き受けている。すなわち、与えられた環境を否定する実質的な理由が何もないにもかかわらず、形式化された価値に基づいてそれを否定する行動様式。ここで模倣される他者は、必ずしも実在しなくてよい。効いているのは、内容を失ってなお存続する形式のほうである。

切腹という例

コジェーヴが挙げた典型は切腹だった。死ぬべき実質的な理由がないのに、名誉という形式化された価値に従って自ら死ぬ。彼が1959年の訪日後、『ヘーゲル読解入門』第2版の註に書いたのは、鎖国下で内戦も外征もない300年を過ごした日本が、歴史の終わりのあとの生の様式を先取りしていた、という見立てである。彼が日本的なスノビズム(原語では snobisme)の頂点に置いたのは能、茶道、華道であり、しかもそれを一部の階層の趣味とは見ていない。経済的・政治的な不平等にかかわらず、その様式は日本人全体に行き渡っているというのがコジェーヴの観察だった。形式に従って死ぬ例としては、切腹と並べて特攻にも触れている。他者を介さず欲求を満たすだけのアメリカ的な生よりも、彼はこちらに人間的なものの残存を見た。

東はこの図式を借りるが、オタク文化を江戸文化の直系として語っているわけではない。むしろ本書第1章には「「江戸町人文化」という幻想」という節があり、江戸はすでにポストモダンだったとする見立てを大塚英志や岡田斗司夫のものとして紹介したうえで、東はそれを、戦後のアメリカ化の衝撃を回避するために構成された虚構として退けている。スノビズムという概念を使うことと、日本文化の連続性を信じることは、この本では別のことである。

オタク文化をスノビズムとして読む

東は本書の前半で、1970年代から90年代前半にかけてのオタク系文化を、コジェーヴ的な意味でのスノビズムとして描く。ここでのオタクは、自分が耽溺している対象が子供騙しであることを承知したうえで、それでも本気で感動してみせる。虚構であると知りながら、様式的なこだわりを積み上げ、その内部で価値の序列をつくる。作品外の現実を参照して「本当に価値があるか」を問うのではなく、形式そのものが判断の基準になる。東はこの二重の構えを、世界的に広がるシニシズムの日本での現れとして位置づける。だからスノビズムは、大澤真幸のいう虚構の時代の精神と重なる。現実の代わりに虚構を選び取り、そこに本気で住むという態度である。

動物化との対比

本書の後半で、東はこの構図が90年代に崩れると論じる。スノビズムは、たとえ内容が空でも、否定という迂回を必要とする。形式に従うということは、目の前の欲求をいったん抑えるということだ。それに対して動物化した消費では、萌え要素が直接に満足を与え、迂回そのものが要らなくなる。スノビズムが「意味は空でも形式は残る」段階だとすれば、動物化は形式まで手放した段階だと言える。

この対比は、記号を操作すること自体が消費になるというボードリヤールの分析(『消費社会の神話と構造』)が前提とした社会的な参照枠が、どこまで痩せうるかを測る目盛りにもなっている。東の議論は、スノビズムを過去の遺物として片づけているわけではない。第2章で描かれる主体は、動物的な欲求充足と、虚構への本気の没入とを、接続しないまま同時に抱えている。

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この概念を扱う本(4冊)

動物化するポストモダン――オタクから見た日本社会

大澤真幸の『虚構の時代』論と接続され、1970〜90年代のオタクの様式的なこだわりを説明する概念として、後半で語られる動物化と対比的に位置づけられる。

欲望の現象学
欲望の現象学

ルネ・ジラール

75%

プルーストの『失われた時を求めて』分析の中心概念。ゲルマント家への憧れや社交界への接近欲求はすべて内的媒介による模倣的欲望の産物であるとジラールは読み解き、スノビズムを近代社会における内的媒介の典型例として位置づける。

道徳感情論
道徳感情論

アダム・スミス(高哲男訳)

50%

人が富や地位を求めるのは快適さのためでなく他人に見られ共感されるためだと論じ、富者や権勢者の境遇を想像で模倣する性向を道徳感情の腐敗として名指す。

消費社会の神話と構造
消費社会の神話と構造

ジャン・ボードリヤール

50%

モノの選択が他者との差異を示す記号操作になり、「個性」とされるものが体系から配給された最小限の差異にすぎないと論じる。威信ある他者を模倣する態度を、心理でなく消費のコードの側から構造として取り出す。