道徳的運
自分が生まれ持った才能、育った家庭環境、偶然の出来事——これらは自らが選択したものではない。にもかかわらず、社会は成功した人を称え、失敗した人を非難する。道徳的運は、この当たり前に見えた慣習の哲学的基盤を問い直す概念だ。個人の成功や道徳的評価が、自ら選択していない偶然的要素にどれほど依存しているかという問いは、道徳的責任の根拠そのものを揺さぶる。
才能は本当に自分のものか
これからの「正義」の話をしようにおいて、サンデルはロールズの格差原理を取り上げてこの問いを鋭く立てた。ロールズの格差原理は、生来の才能によって生まれる不平等を、社会的な偶然と同様に「道徳的に恣意的」なものとして扱う。生まれながらに音楽的才能を持つことも、裕福な家庭に生まれることも、道徳的観点からは等しく「選ばなかった幸運」だ——だから才能から生まれる成果を独占する根拠はない、とロールズは言う。
この直観は強力だが、不安を呼び起こす。もし生来の才能が「自分のもの」でないなら、努力もまた自分のものではないかもしれない。努力できる気質や自律心も、部分的には生来の資質や環境によって形成されているからだ。道徳的運の問題は、責任と偶然の境界を引くことがいかに困難かを示す。
ネーゲルとウィリアムズの発見
トマス・ネーゲルとバーナード・ウィリアムズは1976年の論文で「道徳的運」という概念を正面から分析した。二人は独立にこの問題に取り組みながら、ほぼ同時期に同じ結論——私たちの道徳的評価は制御不可能な運に深く依存している——に達した。
ネーゲルは道徳的運を四種類に分類した。結果的運(行為の結果がどう転んだか)、状況的運(どのような状況に置かれたか)、構成的運(どのような性格・傾向を持って生まれたか)、原因的運(行為の原因が因果的にどう決定されているか)。これらすべてにおいて、私たちは自分が制御しないものによって道徳的に評価されている。
系譜学的な観点から見れば、道徳的運の問いはニーチェが「道徳の系譜」で行った問い——道徳的評価とは何の評価か、誰の利益に奉仕するか——と深く共鳴する。
責任論が崩れるとき
道徳的運の問題が政策に与える含意は小さくない。刑事司法において、貧困な環境で育ち犯罪を犯した人物に対して、どの程度の非難が正当か。生来の衝動制御の困難さを持つ人物の行為に、通常の道徳的責任を問えるか。
義務論的倫理学は行為者の自律的な意志に責任の根拠を置くが、道徳的運の問題はその自律が偶然によって形成されていることを指摘する。カントは超越論的な自由意志を前提としたが、自然主義的な文脈ではその前提は維持が難しい。道徳的運への応答として、現代の哲学者たちは「応答反応的態度」(P・F・ストローソン)、「前向き的責任」などの概念を探求している。責任の条件を全面的に廃棄せずに偶然性を組み込む方途を探ることが、現代の道徳哲学の重要な課題の一つになっている。
道徳的運の問いは、刑事司法の改革論にも直接の含意を持つ。過酷な環境に生まれた人物が犯罪に向かいやすいとしたら、応報的な刑罰ではなく社会的支援が求められる——という論理が、道徳的運論から導かれる。もっとも、この議論を徹底すれば道徳的評価そのものが解体しかねない。カントが超越論的自由意志を保持したのも、道徳と責任の最低限の基盤を確保するためだった。これからの「正義」の話をしようでも、この難問は解決されることなく読者に委ねられる。
この概念を扱う本
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この概念を扱う本(1冊)
マイケル・サンデル
サンデルはロールズの格差原理の文脈でこの問題を取り上げ、生来の才能も社会的偶然の産物であるなら、その成果を「自分のもの」と独占する根拠が失われると論じる。