知脈

狩猟採集社会

採集狩猟民hunter-gatherer旧石器社会

狩猟採集社会とは、農耕・牧畜を行わず、野生の動植物の狩猟・採集によって食料を確保する生活様式と社会組織を指す。ユヴァル・ノア・ハラリは著作『サピエンス全史』において、狩猟採集民の生活が現代人が思い描くよりも豊かで多様だった可能性を指摘し、「農業革命による進歩」という通念を問い直した。

狩猟採集社会の誕生

ホモ・サピエンスは約30万年前にアフリカで出現し、農業革命が始まる約1万2000年前まで、ほぼすべての期間を狩猟採集社会として生きた。農耕文明の歴史がおよそ1万年だとすれば、狩猟採集の時代はその十倍以上の長さを持つ。私たちの身体・心理・社会的本能の多くは、狩猟採集という生活様式の中で形成された。

初期の狩猟採集社会は、少人数(20〜50人程度)の移動するバンド(群れ)で構成されていた。季節に応じて場所を移り、多様な動植物を食べ、土地に根ざした深い生態学的知識を持っていた。現代人が「空腹」「社会的承認」「リスク回避」に敏感なのは、この狩猟採集時代に適応した本能の現れだという進化心理学的説明がある。

狩猟採集社会が使われた時代

20世紀の人類学は、20世紀まで狩猟採集生活を続けていたコミュニティ(ブッシュマン・イヌイット・アボリジニなど)を研究し、農耕文明とは異なる社会組織・価値観・世界観を記録した。マーシャル・サーリンズは1960年代に、狩猟採集民は現代人より少ない「労働時間」で生活を維持し、むしろ「石器時代の豊かさ」を享受していたと論じた。

この見方は後に修正が加えられたが、狩猟採集社会が一様に「貧しく短命」だったという近代的偏見への根本的な問い直しを促した。認知革命以後のサピエンスが持つ豊かな言語・芸術・儀礼の多くは、農耕文明ではなく狩猟採集の時代に発展したものだ。

現代における狩猟採集社会

現代の私たちは身体的・心理的には依然として狩猟採集時代に最適化された生き物だ。食習慣・社会行動・感情反応の多くは、農耕文明には適応しきれていない古い本能の表れだと考えられている。肥満・糖尿病・うつ病・孤独感の増加は、農業・産業・デジタル文明に「狩猟採集の脳」が追いついていない証拠かもしれない。

進化医学・進化心理学は、健康・食・生活様式を「進化的に適合した状態」との比較で考える枠組みを提供する。「パレオダイエット」や「自然に近い生活」への関心は、この進化的不適合への反応でもある。

狩猟採集社会から次の問いへ

狩猟採集社会の研究が示す最も根本的な問いは「何が人間の本来の姿か」だ。私たちは農耕・工業・デジタル化を経て「文明人」となったが、その深部には狩猟採集時代の本能が生きている。幸福虚構・社会組織のあり方を問うとき、私たちは7万年の歴史の中でどのような生き物として設計されたかを問わずにはいられない。現代社会の設計に狩猟採集的な知恵を活かすことが、人類の次の課題かもしれない。

狩猟採集の智慧

現代の環境危機・生物多様性の喪失・気候変動への対応において、狩猟採集社会が持っていた生態学的智慧——場所に根ざした知識・持続的な利用・生態系との共生関係——が再評価されている。先住民族の伝統的知識(TEK)は、西洋科学と相補的な視点として生態系管理に活用されている。農業革命が自然と人間の関係を根本的に変えたとすれば、今私たちは「より賢い農業」から「自然との共存」への第二の転換を求められているのかもしれない。狩猟採集の智慧はその道案内となりうる。幸福の根源を問うとき、私たちは何百万年という人類の記憶に耳を傾けることができる。

概念ネットワーク

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この概念を扱う本(2冊)

人類の起源
人類の起源

篠田謙一

75%

著者は農耕の波が広がる過程で狩猟採集社会がどのように変容・吸収されたかをゲノムの混血パターンから読み解き、現代集団への遺伝的寄与を定量的に示す。

サピエンス全史――文明の構造と人類の幸福

農業革命以降の生活と比較して、必ずしも劣っていなかった可能性が示され、進歩史観への批判的視点を提供する。