スケープゴート
スケープゴート——集団は誰かを犠牲にすることで一致する
「魔女狩り」「いじめ」「異端審問」——歴史と現代を問わず、集団は自分たちの危機や不安を一人または少数の「犠牲者」に転嫁することで結束する。ルネ・ジラールはこのメカニズムを「スケープゴート(代罪羊)機制」として体系化した。
ジラール『暴力と聖なるもの』のスケープゴート論
ジラールは模倣的欲望が社会内で連鎖すると「模倣的危機」が生じると論じた。全員が全員を欲望の競争相手と見なす状態では、共同体は暴力の爆発寸前になる。この緊張を一点に収束させることで危機が解消される——それがスケープゴートだ。
スケープゴートに選ばれる者は「十分に違う」が「十分に属している」必要がある。完全な外部者では共同体の感情を受け止めきれない。しかし完全な内部者では犠牲にしにくい——「縁辺性」を持つ者(障害者・よそ者・王・女性・異教徒)が選ばれやすい。
重要なのは、スケープゴートは無実だということだ。集団はスケープゴートに「危機の原因」の罪を投影する。しかし実際には、集団の模倣的競争こそが危機の真因だ。スケープゴート機制は「真犯人を隠蔽して代わりの犠牲者を見つける」プロセスだ。
宗教的儀礼との接続
ジラールは、古代の宗教的犠牲(いけにえ)をスケープゴート機制の儀礼化として読んだ。定期的な犠牲の儀礼は、模倣的危機が積み上がる前に予防的に行われる「安全弁」だ。神に捧げる形式を取ることで、暴力の社会的機能が隠蔽・神聖化される。
ジラールの最大の洞察の一つは、「キリスト教の福音書はスケープゴート機制を暴露した最初の文書だ」という主張だ。イエスは無実の犠牲者だが、福音書はその無実を明記する。スケープゴート機制は「犠牲者が有罪だ」という神話によって機能するが、キリスト教のテキストはこの欺瞞を暴く。
現代の魔女狩り
キャンセルカルチャー・炎上・民族的迫害——現代社会のスケープゴート現象は形を変えて続く。SNS時代、模倣的怒りは瞬時に拡散する。「あの人が悪い」という投稿が次々に共有されるとき、それは模倣的欲望の暴力的表現だ。標的が何かの罪を犯していることもあるが、集団の熱狂は罪の重さを超えてエスカレートしやすい。
ジラールが示唆するのは、スケープゴートを「悪い奴を罰している」と思っている集団は、自分たちが模倣的動員に乗っていることを見えにくい、ということだ。自分が参加しているのが正義か魔女狩りかを問うことは、スケープゴート機制を意識化する実践だ。
贈与との対比
モース『贈与論』のポトラッチは「競争的与え合い」だ——模倣的欲望が破壊的競争ではなく祝祭的競争に昇華される形だ。スケープゴートが模倣的暴力の「排出口」なら、贈与は模倣的競争の「昇華の出口」だとも言える。
模倣的欲望・贈与と互酬性とあわせて読むことで、ジラールの暴力論と文化論の全体が見渡せる。権威への服従(ミルグラム)は、スケープゴート機制を促進する服従心理の実験的証明だ。
スケープゴートを見抜くことは、集団の感情の波に飲み込まれないための視点の確保だ。ジラールの理論は「あの人を叩くのは正しい」という確信が強ければ強いほど、スケープゴート機制の可能性が高いという不快な洞察を示す。無実の犠牲者を生まない共同体を作るためには、この問いを制度化する——つまり少数意見の保護・適正手続き・批判的報道の自由——が必要だ。
この概念を扱う本
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この概念を扱う本(1冊)
ルネ・ジラール
犠牲者への暴力の集中が共同体の暴力を外部化し聖なるものを生む機制