群淘汰
群淘汰とは、自然選択が個体だけでなく集団(グループ)全体に対しても働き、集団を単位として進化が起きるという考え方である。利他行動や協力の進化を説明する理論として提唱されたが、個体選択・血縁淘汰との長い論争の中でその意義と限界が精緻化されてきた。今日では「多層選択理論」として復権し、人間の文化的協力進化の研究において重要な視点を提供している。
群淘汰の原点
ダーウィン自身が『人間の由来』で示唆したように、勇気や協力など個体にとってコストになる形質でも、集団に利益をもたらすなら進化しうるという直観は古くからあった。20世紀半ばには生態学者V・C・ウィン=エドワーズが「動物は種の絶滅を防ぐために繁殖を自主規制する」と論じ、群淘汰という考え方を広めた。集団の存続が個体の利益を超えた力として働くという視点は当時広く受け入れられ、動物の個体数調節・協力行動・利他性が群淘汰で説明された。
しかし1966年、ジョージ・ウィリアムズは著作『適応と自然選択』でこれを根本的に批判した。集団のためになる利他的変異は、同じ集団内に「フリーライダー(ただ乗り)」が現れれば容易に駆逐される。個体選択の論理では、利他的個体は自己利益を優先する個体に対して競争で負けるため、群淘汰によって利他性が進化するためには極めて特殊な集団構造が必要だと示した。
群淘汰の多面性
ウィリアムズの批判の後、群淘汰は一時「誤った理論」とみなされた。代わりに血縁淘汰と個体選択が進化生物学の主流となる。ドーキンスの利己的な遺伝子はこの流れの集大成であり、群淘汰論を一般にも否定した。「種のために」という説明は誤った擬人化であると繰り返し批判された。
ところが1990年代以降、デイヴィッド・スロン・ウィルソンとE・O・ウィルソンを中心に「多層選択理論」として群淘汰の再評価が始まる。選択は遺伝子・個体・グループ・種という複数の階層で同時に起きており、それぞれの階層で選択の方向が異なりうると論じた。グループ内では利己的個体が有利でも、協力的なグループが競合する他のグループを駆逐するなら、グループレベルの選択が働く余地がある。
ただしこの復権に対しても反論は続いており、多層選択理論を包括適応度で完全に説明できると主張する研究者も多い。論争は現在も進行中だ。
群淘汰が問うもの
群淘汰論争は「進化の単位は何か」という根本問題を問い続けてきた。遺伝子・個体・集団——どのレベルが最も重要かは文脈によって異なる可能性がある。特に人間のような高度な文化を持つ生物においては、文化的グループ選択が重要な役割を果たした可能性が高い。宗教・道徳・制度は集団の協力水準を高める「文化的適応」として機能し、より協力的な集団が歴史的に非協力的な集団を席巻してきたという見方は、文化進化研究の有力な仮説となっている。
なぜ今、群淘汰なのか
個体と集団、自己利益と社会的協力の関係は、現代社会の設計にとって本質的な問いだ。公共財ゲームの実験・企業組織の研究・国際協力のモデルは、多層選択理論の枠組みで分析されることが増えている。ミームと組み合わせることで、文化的グループが共有する規範・価値観・制度が協力水準を決定するメカニズムが見えてくる。群淘汰は「否定された理論」から「精緻化された視点」へと変貌を遂げ、人間社会の協力進化の全体像を理解する上で不可欠な概念となっている。
この概念を扱う本
概念ネットワーク
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この概念を扱う本(2冊)
長谷川眞理子
本書では個体選択・遺伝子選択との対比において検討され、なぜ群選択論が広く受け入れられないのかを示す論拠として、他の選択メカニズムと比較しながら説明される。
リチャード・ドーキンス
従来の進化論で誤って用いられてきた概念として批判される。遺伝子レベルの淘汰こそが基本であり、群淘汰は特殊な条件下でしか機能しないと論じられる。