究極の選択
マイケル・サンデル
正義の問い方 — サンデルが蘇らせた政治哲学の議論
マイケル・サンデルが2009年に発表した『究極の選択(Justice: What's the Right Thing to Do?)』は、ハーバード大学での名物講義「Justice」を書籍化したものだ。功利主義・自由主義・共徳主義(コミュニタリアニズム)という三つの正義論の枠組みを、トロッコ問題・軍の徴兵制・市場の限界・同性婚・愛国心などの具体的な問題に適用しながら検討する。
難解な哲学的概念を具体的な事例で解説するサンデルのアプローチは、政治哲学を一般読者に開いた。しかし本書は単なる入門書ではない。サンデル自身のコミュニタリアン的立場から、功利主義とロールズ的自由主義の両方に批判的な問いを投げかける独自の政治哲学論でもある。
トロッコ問題から始まる問い
本書は「走るトロッコを切り替えて5人を救うために1人を犠牲にすべきか」という「トロッコ問題」から始まる。功利主義なら5人を救うために1人を犠牲にすることは正当化される。しかし別バージョン——橋から太った人を突き落として5人を救う——では多くの人が正当化しない。なぜか。
トロッコ問題という思考実験は正義論の問いを鋭く照射する。結果が同じなのに直接手を触れることへの抵抗が正当化に違いを生むとすれば、行為と結果の道徳的区別が重要だ。このような思考実験から、個人の権利を結果計算に優先させる義務論的倫理学の直観が浮かび上がる。
功利主義の力と限界
サンデルは功利主義——最大多数の最大幸福——の直観的な魅力と論理的な問題を並べて示す。軍の戦費を削減するために安全検査を省いて多くの市民が死ぬことを認めた自動車メーカーの事例は、コスト・ベネフィット分析が人間の命に直接適用されたときの倫理的不快感を示す。
功利主義の限界は少数者の権利の問題だ。多数派の幸福のために少数派を犠牲にすることは功利主義的に正当化できる。しかしこれは直観的に不正義に感じられる。この直観がロールズの無知のヴェール論への支持につながる。
ロールズ批判:共同体と物語
サンデルはロールズの正義論を高く評価しながら批判する。無知のヴェールの背後にいる人間は、具体的な歴史・文化・共同体から切り離された「負荷なき自己(unencumbered self)」だ。しかし現実の人間は特定の歴史と共同体のなかで形成された自己をもち、その自己から切り離された抽象的な合理性から出発することはできない。
負荷なき自己という批判はコミュニタリアニズムの核心だ。共同体の価値観・連帯・物語が正義の内容を規定する。個人の権利よりも共同の善(common good)が根本的だというサンデルの立場は、現代の多文化社会における国民的アイデンティティと市民的連帯の問いに直結する。
市場の道徳的限界
サンデルが後に『それをお金で買いますか』で展開した問いの先取りとして、本書は「市場の道徳的限界」を論じる。軍の民営化・代理母・臓器売買・キャップ・アンド・トレード——これらは市場的効率を高めるが、道徳的腐敗をもたらすかもしれない。
市場の限界という問いは、「何でも市場で決めてよいのか」という根本的な問いだ。徳・名誉・愛情・生命といった価値は市場的交換に服すべきでないとすれば、その根拠は何か。サンデルの答えは、市場は特定の財の性質を腐食させるというものだ。
政治哲学の復権
サンデルの最大の功績は政治哲学を日常の問いとして復権させたことだ。軍の徴兵制・同性婚・格差・移民——これらの問いはすべて正義の問いであり、技術的・経済的問題ではなく道徳的・政治哲学的問いだ。正義論のロールズが構築した哲学体系を、サンデルは生きた現代的問いへと戻した。
共通善の政治学
サンデルが訴えるのは、正義の議論から「善の語り(narrative of the good life)」を追い出すべきではないということだ。ロールズ的自由主義が「中立性」を保つために善の問いを回避したのに対し、サンデルは政治は共通善について議論すべきだと主張する。
共通善という概念は現代の民主主義において曖昧化している。多元的社会では共通善の内容について合意が難しい。しかしその難しさを避けて中立的手続きに閉じこもることは、市民が本当に関心をもつ問いを政治から追い出すことだ。サンデルの正義論はその問いを政治の中心に取り戻そうとする。暗黙知の次元のポランニーが科学的判断に個人的コミットメントの次元を取り戻したように、サンデルは政治的判断に道徳的コミットメントの次元を取り戻す。