知脈

知識の社会的責任

intellectual responsibility

知ることは、沈黙を許さない——少なくとも、良心的な知識人にとっては。知識の社会的責任とは、知識人が持つ、自らの知識と発言力を社会問題に対して使う責任と義務のことだ。専門的知識の権威を持つ者は、その権威を「自分の分野のみ」に限定すべきか、それとも社会全体の問題に使うべきか——これは20世紀以降の知識人論の核心的問いだ。

知の逆転の碩学たちの実践

知の逆転でインタビューされた碩学たちは、それぞれが専門分野を超えて社会問題に発言し、知識の社会的責任を体現してきた。ノーム・チョムスキーは言語学者でありながら、ベトナム戦争批判から始まり半世紀以上にわたってアメリカの外交政策を批判し続けた。ジャレド・ダイアモンドは生物学者・地理学者として、先進国が途上国から学べることを「第三のチンパンジー」「昨日までの世界」で論じた。オリバー・サックスは神経学者として、患者の「人間としての経験」を文学的に描き、医学が人文学と交わる場所を示した。

責任の根拠とその限界

知識の社会的責任の根拠は何か。一つは「権力の非対称性」——専門知は市民が持たない権力だ。その権力は社会から与えられたのだから、社会に還元する義務がある。もう一つは「アクセス」——研究者は時に政府や企業が持ちたくない不都合な事実にアクセスする。そのとき沈黙することは、事実上の隠蔽への加担だ。しかしこの責任には限界もある。専門家が自分の分野の権威を専門外の問題に転用する「権威の転移」は、専門知と常識の問題を生む。チョムスキーの政治的発言が言語学的専門知に支えられているわけではない、という批判は一定の正当性がある。

現代の知識人の選択

学術界のインセンティブ構造は「専門分野内の評価」に向いている。学際的な社会発言は、学術業績として評価されにくい。若い研究者が社会的発言を控える一因だ。SNSの普及は知識人の社会的発言を容易にしたが、同時に「炎上」リスクと「専門外への不当な批判」のリスクも高めた。科学と民主主義の連関で言えば、科学者が市民社会に積極的に参加することの価値は高まっているが、その実践の難しさも増している。知識の社会的責任は「すべき」という規範的命題だけでなく、「どのように」という実践的問いを常に伴う。

知識の社会的責任の実践:科学者の行動選択

科学者が自分の研究の社会的影響に責任を持つという主張は、「科学の自由」とどのように折り合いをつけるかという難問を提起する。マンハッタン計画に参加した物理学者たちの多くが後に核兵器廃絶運動に参加した事例は、科学者の社会的責任への自覚が知識の生産後にも持続することを示す。一方で「科学者は科学の探求に集中し、その応用の責任は政策立案者や社会が負う」という立場も根強く、完全な自由な探求こそが最終的に最も社会に貢献するという主張がある。

デュアルユース(二重使用)問題は知識の社会的責任の最も困難な局面を示す。感染症ウイルスの感染力を高める実験(「機能獲得実験」)は、パンデミック予防のための知識と生物兵器開発への転用可能な知識を同時に産出する。遺伝子編集技術は疾患治療と優生学的操作を同じメカニズムで可能にする。知識そのものは善でも悪でもないが、その産出を選択する研究者には何らかの責任の重みがある。

知識の社会的責任は科学と民主主義が問う科学と政治の関係と直接結びつく——研究の優先順位・資金の流れ・規制の設定という民主的プロセスに科学者がどう参加するかという実践的問いだ。専門知と常識が示す専門知の限界と市民知識の意義は、科学者の責任の範囲を専門知を超えて考えることを促す。科学と市民社会は、責任ある科学者と市民社会の関係を制度的・文化的にどう構築するかという問いだ。

この概念を扱う本

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この概念を扱う本(1冊)

知の逆転
知の逆転

ジャレド・ダイアモンド ほか

80%

知の逆転の碩学たちはそれぞれ専門分野を超えて社会問題に発言し、知識人の責任を体現している。