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ライナス・ポーリング

Linus Paulingポーリング

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二重らせん』で「ライナス・ポーリング」を読む

ジェームス・D・ワトソン(江上不二夫 / 中村桂子訳)

本書ではDNA構造解明の最大のライバルとして描かれる「多才な巨人」であり、彼が誤った三重らせんモデルを発表した場面は、ワトソンらに残された時間の短さを痛感させる緊張の山場として描かれる。

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化学の理論家として量子力学を分子の世界に持ち込み、生体高分子の構造発見者として名を馳せ、さらに反核運動の指導者として——一人の人物がこれほど異なる顔で二度のノーベル賞を単独受賞した例は他にない。ライナス・ポーリング(1901-1994)はアメリカの化学者であり、20世紀を代表する科学者の一人に数えられる。だが二重らせんを読むとき、この巨人はもう一つの顔を見せる。ジェームス・D・ワトソンとフランシス・クリックの前に立ちはだかる、DNA構造解明競争における最大のライバルという顔である。

化学結合論とαヘリックスという先例

ポーリングの科学者としての名声は、量子力学を用いて化学結合の性質を説明した理論的業績に始まる。混成軌道や電気陰性度といった概念は、彼の手によって現代化学の基本語彙になった。さらに彼はタンパク質の立体構造を研究し、ポリペプチド鎖がらせん状に折りたたまれる「αヘリックス」構造を発見する。X線結晶構造解析のデータに化学的な知識と直感を重ね合わせ、正しい分子模型を組み立てるという手法——モデル構築による科学的発見——の有効性を世に示したのがこの発見だった。この成功体験こそが、ワトソンとクリックに同じ手法でDNAへ挑む勇気を与えたとされる。

『二重らせん』を覆う「多才な巨人」の影

本書を通じて、ポーリングは常に「彼が本気を出せば自分たちより先にDNA構造を解いてしまうかもしれない」という恐怖の対象として描かれる。αヘリックスの発見者である彼の知識と模型構築の腕前は、若いワトソンたちを終始怯えさせた。しかもポーリングの息子ピーターがちょうどワトソンたちと同じケンブリッジの研究室に身を置いていたため、父の研究の進み具合は断片的な噂となって二人の耳にも届いていたという。この科学における先取権争いの緊迫感こそが物語全体を前へ進める推進力であり、ポーリングという存在なしに本書の疾走感は成立しない。

誤った三重らせんモデルが生んだ猶予

1953年初頭、ポーリングはついに自らのDNA構造モデルを発表する。しかしそれはリン酸を分子の中心に据えた化学的に不安定な三重らせんであり、電荷を帯びるはずのリン酸基が中性のまま描かれるという基礎的な誤りを含んでいた。この論文を目にしたワトソンとクリックは、恐れていたライバルが道を誤ったことに安堵すると同時に、ポーリングが誤りに気づき全速力で追い上げてくるまでの猶予がごくわずかしか残されていないことを痛感する。この緊張の山場が、二人をDNA二重らせん構造の解明へと一気に駆り立てる転換点になった。

誤りうる巨人という逆説

先取権争いには敗れたものの、ポーリングの科学的貢献が色褪せることはなかった。1954年のノーベル化学賞に続き、核実験に反対する運動が評価されてノーベル平和賞も受賞し、分野の異なる二つのノーベル賞を単独受賞した史上唯一の人物となる。もっとも晩年には、ビタミンCの大量摂取があらゆる病に効くと説き、専門外の領域での主張が科学的合意を得られなかったとも言われる。多才な巨人でさえ、圧倒的な自信ゆえに誤った確信へ突き進むことがある——ポーリングの生涯は、この逆説を体現している。

この概念を扱う本

この概念を扱う本(1冊)

二重らせん
二重らせん

ジェームス・D・ワトソン(江上不二夫 / 中村桂子訳)

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本書ではDNA構造解明の最大のライバルとして描かれる「多才な巨人」であり、彼が誤った三重らせんモデルを発表した場面は、ワトソンらに残された時間の短さを痛感させる緊張の山場として描かれる。