知脈

性の歴史I——知への意志

ミシェル・フーコー

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概要

権力と身体の関係を分析するフーコーの代表作。身体の政治、規律権力、正常化の権力、生政治、主体の形成、権力の毛細管を論じる。

キー概念(13件)

フーコーはセクシュアリティが抑圧されたのではなく、むしろ生権力の装置として増殖・管理されてきたと論じる。性は個人の身体管理と人口の生物学的調整の交差点として機能した。

本書でフーコーは、セクシュアリティが個人の道徳問題ではなく、社会全体の「種」としての生命力を管理する生政治の核心に位置していることを示す。

性科学(sexologie)という知の生産がセクシュアリティを「真実」として固定化し、医学・精神医学・人口学が性を権力の対象として構築した過程をフーコーは分析する。

本書の出発点であり、批判対象。フーコーは「私たちは本当に性を抑圧されてきたのか?」と問い直し、禁止ではなく言説化・管理こそが近代権力の本質だと反転させる。

フーコーは「アリアンスの装置」(婚姻・親族)に代わって近代に登場した「セクシュアリティの装置」が、家族・医学・教育・精神医学を通じて性を個人の深層真実として固定化したと論じる。

キリスト教の告解から近代精神分析まで、西洋文化において「性の真実を語らせる」制度が連続していることをフーコーは示す。性の告白が権力-知の回路に組み込まれている。

性に関する言説の爆発的増殖が19世紀に起きたとフーコーは論じる。沈黙や禁止ではなく、医学・法学・教育学・人口学等における言説化こそが近代における性の権力作用の中心だった。

性的「倒錯」や「変態」の医学的カテゴリー化は、性を罰する禁止法よりも、正常/異常の区分を通じて主体を内面から管理する正常化権力の典型例としてフーコーは分析する。

同性愛者・ヒステリー患者・変態者といった性的主体カテゴリーの歴史的出現を通じて、フーコーは「性同一性」がいかに権力によって構成された主体形態であるかを示す。

本書では生権力の個人的極として規律権力が位置づけられ、性的逸脱者(同性愛者・オナニー少年等)への医学的・教育的介入がその具体例として論じられる。

フーコーは「性の技法(ars erotica)」と対比させながら、西洋固有の「性科学(scientia sexualis)」が告白を真実抽出装置として利用し、権力と知を結合させた様式を分析する。

フーコーは「権力はどこにでもある」と述べ、性の管理が国家的禁止よりも医師・教師・家族・精神分析家という毛細管的ネットワークを通じて機能していることを示す。

セクシュアリティは快楽や道徳の問題であると同時に、国家の人口構成・労働力・軍事力に直結する問題として生政治の中心に置かれたとフーコーは分析する。

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